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<ピース又吉>芥川賞311万部に続く第2作は「劇場」

毎日新聞 5/13(土) 9:30配信

 「火花」で芥川賞を受賞した又吉直樹さんの新作小説「劇場」が刊行された。「火花」が大反響を呼んだゆえ、受賞後の第1作を書くにはかなりのプレッシャーがあったことだろう。いったいどんな作品に仕上がったのか。毎日新聞学芸部で文芸を担当する鶴谷真記者が新作を読み込んだ。【毎日新聞経済プレミア】

 発売前に情報を小出しにすることでファンの飢餓感をあおる商法はよくある。だが小説の世界で、タイトルや初版部数が小刻みに発表されるのは村上春樹さんぐらいのものだ。それが今や、お笑い芸人の又吉さんもそうなった。

 何しろ、2015年夏に芥川賞を受賞した「火花」は単行本が253万部、文庫は58万部の計311万部を記録する大ベストセラーになっている。ちなみに歴代の芥川賞受賞作の部数トップは、村上龍さんの「限りなく透明に近いブルー」(1976年夏受賞)で、約367万部である。

 又吉さんは「劇場」の刊行前に報道陣の取材に応じ、「受賞して1年くらいは、書けばいろんなことを言われるだろうなと思っておびえていました」「でも当たり前のことに気付きました。なんで僕がみんなの期待に応えようとしてんねん、なんで好かれようとしてんねん、って(笑い)」などと語った。

 ◇今回の主人公・永田は前衛劇団主宰者

 我が道を行けばいい、と吹っ切れたのだろう。そして書き上げたのが「劇場」である。主人公は20代前半の永田という男。高卒後に関西から上京し、劇団「おろか」を旗揚げして3年になる。誰も見たことのない前衛的な舞台を目指し、脚本を書いて演出をしているが、評価はサッパリだ。

 ある日、原宿の辺りで健康的かつ明るい表情の女性を見かけて、「靴、同じやな」。さらに「あした、遊べる?」と異様なナンパを敢行する。沙希という青森出身の女子大生だ。沙希は永田のことを気に入り、やがて永田は沙希宅に転がり込んで同棲(どうせい)する。

 金はなく、鬱屈し、芝居のことで頭がいっぱいの永田。不振は極まっている。舞台本番での手ひどい失敗を受け、役者たちは永田を罵倒して飛び出して行く。

 きつい労働で疲れている沙希の横で、永田は夜通しコンピューターのサッカーゲームに興じるていたらくだ。文学好きの永田は選手たちに「三島」「谷崎」「太宰」などと文豪の名前を付けているのが哀れを誘う。いや、笑うところか。

 理想と現実のギャップにもんもんとする永田は、実によく歩き回る。金がないせいもあるのだが、街を歩きながら大切なことを考えるのは「火花」の漫才師たちと同じ。移動が単なる場面転換やつなぎではなく、重要な意味を宿している。この「徘徊小説」を又吉さんは自家薬籠中の物としたようだ。

 ◇どこまでも永田に優しい沙希

 「劇場」は、「優しさ」の意味を問う小説でもある。とにかく沙希が永田に対して優しいのだ。生活力がなく、わがままで思いやりのない永田を励まし、包み込む。永田はどこまでも沙希に寄りかかる。性的な場面はない。一部の評論家は沙希の人物造形を指して「現実離れしており、男女ではなく母子を描いた小説だ」と否定的見解を示している。

 又吉さんにこの点を問うと、沙希には強いリアリティーがあり、共感も覚えていると答えてくれた。「僕は沙希より優しい人を2人くらい、知っていますから」と。いずれにせよ、文章も展開も「火花」よりはるかに読みやすく仕上げた点は、又吉さんの真摯さと言っていいだろう。

 日々成長し、世間にもまれる沙希は、5年や6年たってももんもんとし続ける永田を前にして、徐々に追い詰められていく。後半に差しかかると「わたし、お人形さんじゃないよ」「もうすぐ二十七歳になるんだよ」と口にし、それでも優しい自分を崩せない。永田、何とかしてやれ……!

 身もふたもない言い方だが、ラストには感動した。永田にとって世界で一番安全だった沙希宅で、永田が渾身の芝居を打つのだ。観客がゼロでも、拍手がなくても、自分の人生の舞台を演じるのは自分しかいない。主人公は自分なのだ。それを知った時、私たちは安全な青春を終え、真の勝負の場に出ていくのだろう。

最終更新:5/13(土) 9:30

毎日新聞