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東芝は安宅産業の二の舞となるか

5/13(土) 8:10配信

BUSINESS INSIDER JAPAN

歴史は繰り返すという。東芝のいまの窮地を見るにつけ、かつての安宅産業破綻が二重写しに映る。行きついた先は解体である。

ー 1973年10月、ニューヨークを出航したクイーン・エリザベス2世号はカナダのニューファンドランド島に向かった。新設された製油所「ニューファンドランド・リファイニング・カンパニー」(NRC)の完成を祝い、NRCのオーナーのジョン・シャヒーン氏が見栄を張って豪華客船を借り切ったのである。招待客には、日本の十大商社の一角、安宅産業の市川政夫社長や高木重雄常務の姿もあった。NRCの金主が日本の安宅だったからである。安宅は、従来の繊維、木材や鉄鋼から新たに石油など花形のエネルギーに取扱商品を拡大し、大手商社下位から上位の背中を臨もうと思い切り背伸びしていた。

皮肉にもそこに第4次中東戦争が襲う。原油価格が4倍に高騰し、安価な中東原油を精製し、米加両国の先進国市場に供給するというNRCの計画は挫折する。仕入れ価格が急騰して製品価格に転嫁できなくなり、開業と同時に赤字を垂れ流す惨状に陥ったのである。

オーナーのシャヒーン氏は、レバノン系米国人で、CIA前身のOSSの情報担当大佐だったといわれる政商的な人物。三井住友銀行の西川善文元頭取の回顧録『ザ・ラストバンカー』によれば、シャヒーン氏はニクソン大統領と親しく、国際石油資本メジャーに対抗した自前の独立企業集団を作ろうと考えた野心的な人物だった。一方、NRCに入れ込んだ安宅の高木常務はハワイ出身の日系二世で、安宅の社内で自身が「英語屋」と軽んじられがちなのを一蹴しようと、とかく大きなヤマを張りたがったとされる。

さらに安宅の社内は、創業家出身の安宅英一氏が「社賓」という肩書を持ち、経営の一線には立たないが、人事権は行使してきた。東洋陶磁の収集家としても知られ、重要文化財などが含まれる「安宅コレクション」は有名だ。

結局、安宅はシャヒーン氏の手玉に取られるように追加融資を継続し、泥沼にはまり込んでいく。「日本企業の場合(中略)個人経営者は別として一気にウミを出すことはまずできない。自分が担当している間に最悪な事態になるのをなんとか避け後任者にバトンタッチするからますます泥沼にはまり込む結果になります」(日本経済新聞特別取材班『崩壊 ドキュメント・安宅産業』69ページ)という当時のニューヨーク在住弁護士の言葉は、その後の日本の不良債権問題を始め多くの企業不祥事にあてはまり、強烈な既視感を覚える ー 。

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