ここから本文です

ピストルを頭に突きつけたことも 全米殿堂入り企業「ヨシダソース」創業者・吉田潤喜のどん底エピソード

AbemaTIMES 5/13(土) 11:00配信

「はしたない。日本人の恥だ」との批判も浴びた

(前編からの続き)当時アメリカに無かった“甘辛い味付け“で一大旋風を巻き起こした「ヨシダソース」。その発明の親が吉田潤喜氏だ。19歳で単身渡米し、空手道場を開き、一時は200人の生徒を抱えるも、不況で苦境に立たされる。その後クリスマスのお返しのプレゼントでたまたま作った実家のソースが生徒に大人気となり、いよいよ自らソースの販売に乗り出すことになった。

 ソースを売るために吉田が行ったのが実演販売だった。自ら店頭に立ち、ソースの購入を呼びかけた。しかし、もともと空手で生計を立てていた身である上、当時のアメリカでは店頭販売自体に馴染みがなかった。試食してもらうところまでこぎつければ、絶対に買わせる自信はあったにもかかわらず誰も手に取ってくれない。
 
 「ちっとも売れませんでした。それどころか白い目で見られてね。今まで頭を下げたこともない。ソースの売り方なんてわからなかった」。

 そこで閃いたのが生まれ故郷の京都の下町の風景だ。「寄ってらっしゃい!おばはん!」と、威勢よく声を張り上げる下町の商店を思い出した。「徹底的に目立ったろ」。吉田はすぐさまカウボーイハットに着物、下駄という出で立ちで店頭に立った。そこからヨシダソースの“名物“とも言うべき、あの奇抜なパフォーマンスが始まった。

ある時はバニーガールの衣装を着て店頭に立ったこともある。しかし、空手道場に通う日本人生徒の親から「はしたない。日本人の恥だ」との批判の声も上がった。だが、そんな声ではくじけない。「ほんならもっと目立ったろ」と、エルビス・プレスリーの衣装で登場したのだ。さらにはピンクのバレリーナの衣装でCMに現れ、ソースを売りまくった。

そして、この大胆な販売戦略がついに実を結ぶ。店内で撮影が行われていたテレビの映像に、吉田が見切れていたのだ。次の日にはすべてのソースが品切れに。

「とにかくギャーギャーわめいて目立ちまくる。自分を売り込みまくったんや」。

 結果、地元の料理番組にもレギュラーで出演するように声がかかった。料理はズブの素人の吉田だったが、ここでもそのキャラクターを遺憾なく発揮、打ち合わせもほとんどない状態で番組に出演し、頻繁に起きるハプニングも“コンテンツ“にしてしまった。

 「料理番組っていうより、コメディショーやね。おでこが火傷したり、フライパンに入れたゴマが爆発したりね」と笑いながら振り返る。番組は大人気になり、6年も続いた。

1/3ページ

最終更新:5/13(土) 11:00

AbemaTIMES