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<小尻記者>「指紋押捺」器具スケッチ 30年ぶり当事者に

毎日新聞 5/14(日) 8:00配信

 ◇描いた取材相手・金成日さん「返却」に感慨

 朝日新聞阪神支局襲撃事件で射殺された小尻知博記者(当時29歳)が、外国人の指紋押捺(おうなつ)問題について書いた記事に掲載されたスケッチの写しが、事件から30年となった3日、筆者の手元に返ってきた。描いたのは、在日コリアンの金成日さん(65)=兵庫県尼崎市。金さんは30年ぶりの“返却”を感慨深く受け止め、言論の自由への思いを新たにしている。

 スケッチは、強制的に指紋を採取するため兵庫県警が用いた特殊な器具を描いたもの。1986年11月5日、金さんが外国人登録法に基づく指紋押捺を拒否して県警に逮捕された際に使われた。

 「板や布かビニールのバンドのようなものでできた器具で腕や指を固定され、指紋を採取された」。略式起訴で即日釈放されたその夜、金さんが取材に訪れた小尻さんにそう話すと、器具のスケッチを依頼された。

 描いて渡すと、7日の夕刊に、警官に体を押さえつけられ、器具を使って無理やり押捺させられたことを伝える記事がスケッチとともに載った。「痛いと叫んだが、強引に指を開かされた」との金さんのコメントに加え、「刑訴法の許容範囲を超えている」(弁護士)、「他府県警でこうした道具の使用報告は受けてない」(警察庁)とバランスを取りながら問題を告発する構成になっていた。

 その半年後、小尻さんは射殺された。金さんも記事掲載後に自宅や経営する喫茶店で脅迫電話を受けており、「事件はあの記事のせいなのか?」「次は自分の番かも」と恐怖に襲われたという。

 「赤報隊」の犯行声明が朝日新聞を敵視する内容と分かると、恐怖は、暴力で言論の自由を封殺することへの憤りに変わった。以来、毎年5月3日に表現の自由の大切さを訴えるイベント「青空表現市」を開いてきた。

 今月3日、会場にいた金さんを、国などに賠償を求めた訴訟を担当した弁護士が訪ねてきた。1枚の赤茶けたファクス用紙を手渡し、「あなたが持っていた方がいい」。見ると、金さんがかつて描いたスケッチだった。弁護士によると、記事を書く前に小尻さんからファクスが届き、法的見解を求められた。訴訟資料と一緒に保管してきたが、あるべきところに返そうと思ったのだという。

 金さんはファクスの存在を知らなかった。印字された送信記録は86年11月6日。金さんの逮捕の翌日で、「指紋押捺拒否で逮捕された金さんが指紋を取られる時に使われた器具。金さんによる絵です」と脇に手書きされていた。

 「30年たってこんな資料が出てくるとは。熱心に、慎重に取材をしてくれていたんだなあ」。金さんは小尻さんのことを思い返し、改めて思う。「自由に意見が言える社会を守らないといけない」【田辺佑介】

 ◇ことば【在留外国人の指紋押捺問題】

 外国人登録法で規定された登録原票への指紋押捺について、1980年代に人権侵害との批判が高まり、拒否が相次いだ。93年から一般の永住者と、在日コリアンら特別永住者の押捺が廃止され、2000年からは全外国人の押捺が廃止された。金成日さんは不当な指紋採取は違法だとして、国家賠償請求訴訟を起こしたが、98年に最高裁で棄却された。

最終更新:5/14(日) 16:39

毎日新聞