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<沖縄復帰45年>「悲惨事故もう二度と」米軍訓練中止求め

毎日新聞 5/14(日) 23:33配信

 沖縄では、集中する米軍基地が今なお人々の暮らしを脅かしている。本土では沖縄の負担を分かち合おうとする運動も始まったが、広がるかは未知数だ。沖縄は15日、本土復帰45年を迎えた。安全保障のあり方や、沖縄への向き合い方が改めて問われている。

 15日で本土復帰45年を迎えた沖縄では、過重な米軍基地負担が今なお人々の暮らしを脅かし続けている。

 「あらゆる訓練の中止を求めて一致団結して頑張ろう」。東シナ海を望む美しい海岸線が広がる沖縄本島中部の読谷村で11日夕、怒りの声が上がった。海の近くにある米陸軍トリイ通信施設のゲート前。米軍ヘリコプターが3、4月に車両などをつり下げて飛ぶ訓練を実施したことに抗議するための村民大会が開かれ、約300人の村民が拳を突き上げた。

 村民の激しい怒りには歴史的な背景がある。大会で石嶺伝実(でんじつ)村長は訴えた。「村民は、幼い少女の大切な命が奪われた悲しく、悲惨な事故を決して忘れることはできない」

 復帰前の1965年6月11日。村内で米軍のパラシュート降下演習中に、トレーラーが投下目標を外れて民家近くに落下し、背中に直撃を受けた小学5年の棚原隆子さん(当時10歳)が死亡した。当時も抗議の大会が開かれ、怒りと悲しみが渦巻いた。この記憶が村民に刻み込まれている。大会に参加した村老人クラブ連合会会長の我謝孟正(がじゃたけまさ)さん(73)は強い思いを口にした。「二度とあってはならない。村民が声を上げないと」

 読谷村楚辺で生まれ育った我謝さんの家は戦後の52年、トリイ通信施設建設のために立ち退きを余儀なくされた。当時は食料も十分になく、誰もが貧しい時代。通った小学校には基地が隣接し、米兵がフェンス越しに「ギブミー」と叫ぶ子供たちに果物などを投げてよこした。「自分は拾わなかったけれど、本当にみじめだった」

 27年間に及ぶ過酷な米軍統治を経て、沖縄は72年に本土復帰を果たした。我謝さんは振り返る。「自分たちも日本国民として認められたかったのでうれしかった」

 だが、現在も村面積の36%を米軍基地が占める。そして復帰前と同じように、惨事につながりかねない危険な訓練が繰り返されているのは読谷村だけではない。

 在沖米軍は今月10日、付近に住宅が密集する米軍嘉手納基地(嘉手納町など)で、県などが中止を求めていたパラシュート降下訓練を夜間に実施。1996年の日米特別行動委員会の合意でパラシュート降下訓練は伊江島で実施することになっているが、十分な事前説明もないままに訓練を強行した形だ。

 我謝さんは静かに語る。「米軍のやりたい放題は今も変わらない。確かに復帰後は社会資本整備は進んだけれど、フェンスと隣り合わせの生活がいまだに沖縄で続いていることを本土の人に知ってほしい」。復帰から45年。沖縄が望む平和な空は遠い。【佐藤敬一】

最終更新:5/14(日) 23:42

毎日新聞