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「三菱500」に一目ぼれ 岡山・倉敷の愛好家クラブが活動30年

山陽新聞デジタル 5/14(日) 10:20配信

 国内に21台しか残っていないオールドカー「三菱500」は、三菱自動車(東京)が高度経済成長期の1960年に発売した同社初の量産乗用車だ。そのオーナーズクラブが倉敷市に本部を置き、活動を始めて今年で30年になる。瀬戸大橋開通時にパレードしたのをはじめ、県内で定期的に走行イベントを開き、地域の盛り上げに一役買ってきた。節目を記念し、同市内のレストランで三菱500の魅力とクラブの歩みを紹介する写真展が開かれている。

 「小さいのに品格があるでしょう」。青リンゴ色の愛車に目を細めるのはレストラン経営片山章一さん(69)=倉敷市。同市や岡山市をはじめ、全国の46人でつくる「三菱500オーナーズクラブ」の会長だ。

 三菱500は、わが国のモータリゼーションをけん引した大衆車の先駆けで、「夢を呼ぶ国民車」とうたわれた。今の軽自動車より小さなエンジン。かつて航空機造りに携わった技術者が軽量化を追求し、空力性能の高い洗練されたデザインに仕上げた。

 中学時代、児島のまちを走る雄姿に一目ぼれした片山さんは、30歳をすぎて中古を手に入れた。オーナーズクラブ設立は88年4月の瀬戸大橋開通がきっかけ。「渡り初めをしたい」と全国の愛好家に呼び掛け、前年暮れに25人で発足した。

 当時でもすでに年代物。メンバーが所有していたのは8台で、うちまともに走れるのは2台だけだったが、開通前日までに何とか整備し、当日はそろって“本四架橋時代”の幕開けに花を添えた。

 その後も瀬戸大橋の開通10周年、20周年など節目の年に走り、来年の30周年でも計画している。

 94年からは「パイオニアラン」と銘打ったイベントも5年ごとに開催。国産車第1号となった蒸気自動車を造った岡山市出身の発明家・山羽虎夫(57年没)をしのび、山羽が初めて試走(04年)した同市内のコースをたどっている。

 三菱500の開発スタッフのインタビュー記事や発売当時の広告、クラブのイベントの様子などを紹介した会報を13号発行し、片山さんは欧米向けの英語版写真集も自費出版した。経営するレストラン「ワーゲン」の横には愛車の展示コーナーも設けている。

 息長く熱心な活動に三菱自は「発売から50年以上がたっても大切に整備されている皆さまのご愛顧を励みとし、愛される車造りに取り組んで参ります」と感謝する。

 ワーゲンでの写真展は約50点を並べ秋まで。年内には記念式典も予定している。片山さんは「国産車の歴史を切り開いた車を動く状態で永久保存していきたい」と話している。


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 三菱500 小型国産車の普及に向けた国の「国民車構想」を受け、当時の新三菱重工業が開発。三菱自によると1959~63年に計約1万3千台を生産した。2ドアセダンで500cc4人乗りと、600cc5人乗り。定価は40万円前後。当時の大卒初任給は1万3千円ほどだったが、自動車では廉価だった。

最終更新:5/14(日) 10:20

山陽新聞デジタル