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ユーミンが14歳から人脈を作った“伝説の料理店”

TOKYO FM+ 5/14(日) 11:00配信

鈴木おさむがパーソナリティを務めるTOKYO FMの番組、5月12日(金)の生放送では、TOKYO FMエグゼクティブ・プランナーの延江浩さんが登場。

ユーミンの知られざる血縁関係と交流を描いた「愛国とノーサイド 松任谷家と頭山家」の著者としての顔も持つ延江さん。国家主義者の頭山満氏の家系と婚姻関係を結んだ松任谷家というふたつの家を軸にした時代史である本書の時代背景などについてトークを展開しました。

鈴木「僕がすごく印象的だったのは“文化はたまり場から生まれる”という言葉。僕も何度か行ったことがありますが、キャンティ(CHIANTI・イタリア料理店)の何がすごいのかがこの本を読んで分かったような気がしました」

延江「キャンティは1960年に川添(浩史)さんが作ったんだけど、川添さんのおじいさんが、後藤象二郎という坂本龍馬と一緒に政府を倒して、その時の盟友が頭山満だったわけです。もともと思想家の家だったんだけど、海外に目を向けていって、セルジュ・ゲンズブールとか、フランク・シナトラとかがいっぱい集まっていったんですね。ムッシュ(かまやつ)さんが来たり、ユーミンさんも14歳から出入りをしてたりという感じで」

鈴木「川添さんは料理店のオーナーかと思いきや、海外のすごいミュージカルを当時の日本に引っ張ってきたり」

延江「“文化はたまり場から生まれる”というのが彼の口癖で、文学家に建築家、美術家とか分け隔てなく毎晩呼んでいたんですね。そこで自らの経験を若い世代に託して花開かせていった。ユーミンさんのデビュー曲(「返事はいらない」)のプロデュースはキャンティ仲間のムッシュさんでした」

鈴木「今の時代だとネットで交流したりするけど、昔はとにかく人を紹介したり溜まっていましたよね。タモリさんがデビューしたきっかけもそうですし、いろんな交流があって世に出て来た人もいて。あの時代だったからこそなんですかね」

延江「そうですね。高度成長期で、戦後が解放された時代であったのと、いわゆる洋風の文化がどんどん入ってくるなかで、川添さんが思ったのは、分け隔てなく文化を味わうんだというところ。それから、本物のイタリアンをみんなに食べてほしかったと」

鈴木「今の日本だといろんなカルチャーが既に仕分けされてしまっていて、出会う人、出会わない人がはっきりしてきますよね……。どうして川添さんのような人がいなくなったんでしょう?」

延江「今はどんどん細分化されちゃっているのと、ネットの功罪というのもあるけど(そこに)行った気になってるよね。“自ら足を運ぶ”というのがユーミンの鉄則だった。そこに行けば三島由紀夫に会えるんだと思っていた人もいたし、身近に東京があったというのが、キャンティのひとつの良さだったかもしれない。会えないからこそ会いに行くというのがあったよね」

鈴木「だからいろんな才能がより生まれていったんでしょうね」

(TOKYO FMの番組「よんぱち」2017年5月12日放送より)

最終更新:5/14(日) 11:00

TOKYO FM+