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自宅の合鍵まで ドン底の山崎ハコ支えた渡辺えりの心遣い

日刊ゲンダイDIGITAL 5/15(月) 9:26配信

 2012年に発売したアルバム「縁-えにし-」が日本レコード大賞で優秀アルバム賞を受賞、今も活躍中の歌手・山崎ハコさん(59)だが、その前年にはどん底があった。そんな時、支えてくれたのが女優の渡辺えりさん(62)だった。

 ◇  ◇  ◇

 もう詞もメロディーも出なくなったんです――。シンガー・ソングライターなのに。11年5月、東日本大震災で大きな被害が出た石巻から気仙沼にかけてを慰問した直後のことでした。25年来の友人の渡辺えりさんに誘われ、少しでも被災された方々のお役に立ちたいと思ったのですが、すごくショックを受けました。テレビで見たのと現実とは大違い。想像以上の惨状に精神的に参ってしまったんです。

 それに追い打ちをかけたのが7月の原田芳雄さんの訃報。芳雄さんはデビューして間もない1976年にお会いして以来、ずっと応援して下さっていました。それだけに本当に悲しくてつらくて、歌まで歌えなくなり毎晩泣くばかりでしたね。11月にはアルバムのリリースが決まっていたのに、延期してもらったくらいですから、深刻……。

■部屋の掃除をしていたら「あ、これだ!」

 でも、歌は作らなければなりません。それで「起きた瞬間から見える景色が180度違う場所に行ってみよう」と、思い出したのがえりさんの山形市郊外の別宅。電話したら二つ返事で「いいよ」と。それで愛車にギター2本とレコーディング機材を積んで山形に向かい、11月下旬からの10日間曲作りに打ち込みました。

 山形市は盆地で、私の故郷の日田市(大分)に似ています。晩秋は朝方に深い霧が立ち込め、夜は満天の星。近所には共同温泉浴場。歌が大好きだった中学時代に立ち返ることができたみたいで思った以上に曲作りがはかどり、9日で9曲もできました。でも、宿題が残っていました。芳雄さんが亡くなる5年前、「ハコの歌は“縁(えにし)”を感じる」と。この遺言をテーマにした曲が手付かずのまま。そんな思いで迎えた最後の日。部屋の掃除をしていたら、突然、詞とメロディーが降りてきて「あ、これだ!」。急いで、いったん片付けた機材をセットし直してレコーディング。それが「縁-えにし-」でした。

「縁」は翌12年にリリースしたアルバムのタイトル曲。この中に民謡歌手の伊藤多喜雄さんに96年に提供した「愛しき大地」も入れましたが、えりさんとは伊藤さんとの縁で90年に出会いました。当時の私は「暗い」「無口」というデビュー以来のイメージが裏目に出て行き詰まり、事務所の社長に「ニーズがない」とまで酷評され散々。そんな時に伊藤さんに曲作りを依頼され、コンサートを見た後に打ち上げに参加したら、たまたま同じテーブルになったのがえりさんだったのです。

■どんな時も親身に

 ご挨拶したら目を真ん丸くして驚き、「私ファンなのよ」「その暗さが好き」。しかも「私たちの芝居では不可欠、今やってるお芝居でハコさんの歌を使っているから見に来て」とお誘いまで。後日、下北沢のスズナリへ行きましたら私の「望郷」を効果的に使っていて、それで自信がついたんです。「ニーズがあるんだ」って。

 それからお付き合いが始まり、困った時には励まされ、またある時は泣いて怒るくらい親身になってくれました。事務所が倒産して住んでいたアパートを追い出された時も自宅の合鍵をくれて「いつ来てもいいわよ」って。私は体質的にお肉が食べられないから、野菜だけのお鍋とお料理を作って鍋パーティーをしてくれたことも。その時は食事の心配をして帰りがけにラーメンやレトルト食品、果物を入れた袋をいただいたのですが、私が余計な気を使わないように、参加した全員に同じお土産を手渡していたのが、えりさんらしい。

 そしてアルバム「縁」はレコード大賞優秀アルバム賞を受賞。14年9月発売の「歌っ子」、去年9月の「私のうた」も山形で作りました。今こうして歌っていられるのは、えりさんのおかげ。本当に感謝してもし切れません。

最終更新:5/15(月) 10:49

日刊ゲンダイDIGITAL