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人との接し方に変化も スザンヌが振り返る熊本地震の衝撃

日刊ゲンダイDIGITAL 5/15(月) 9:26配信

 バラエティー番組を中心に雑誌、CMで活躍し、ファッション関係の仕事も多いタレントのスザンヌさん(30)。2年前から生まれ故郷の熊本市をベースにしているが、1年前の熊本地震で被災した……。

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 ドアを開けて中に一歩入ると、室内はオモチャ箱をひっくり返したみたいに、何もかもがグッチャグチャ。食器棚やラックが折り重なって倒れ、リビングのテレビはラックから落ち、台所は大型冷蔵庫が横倒し。食器棚から飛び出た食器が散乱して、靴を履いていないと危険でした。

 4月17日午後4時ごろ。熊本地震発生後、初めて入った自宅はこんな惨状だったんです。もちろん電気、水道、ガスはストップ。自宅にいたわずか数十分間にも地震が何度もあって、とても片付けるどころじゃなく、当時2歳3カ月の長男の紙オムツとミルク、着替えを手にするのが精いっぱいでした。

 東日本大震災や、毎年のように各地で起きる大きな自然災害には心が痛みますが、熊本地震はやはり衝撃的でしたね。物心ついた頃から見慣れてきた熊本城や阿蘇の山々が、一瞬にして姿を変えてしまったのですから。

■全国から届いた救援物資を配布

 地震は4月14日21時26分の前震と、16日深夜1時25分に発生した本震があって、震源地の益城町はともに震度7。私が住んでる熊本市内は震度6弱と6強でした。両方とも仕事で福岡にいる時に発生し、熊本に帰ったのが17日。その日は朝8時に友人の車で福岡を出ましたが、高速道路も一般道も大渋滞。普段は1時間半ほどなのに、家族が避難していた中学の体育館に到着したのは、7時間以上経過した午後3時過ぎ。

 おかげさまで両親、祖母、妹、長男はケガひとつなく無事。長男は「ママ!」と言って飛びついてきました。家族全員の元気な姿を見てホッとしましたね。その晩は、福岡で買ったものと自宅から持ち出した食品で夕食を済ませましたが、300人ほどがいる体育館で配給されたのは1人1個のおにぎりだけ。水は何とか確保できていたんですけど、不安は募るばかりでした。

 それでも、母が経営してる市内の「キャサリンズバー」は、避難所から通いながら19日に再開。全国の友人知人が送って下さった救援物資もお店に続々と届き、それをボランティアの方々と配布しながら、復興へ向けて歩み始めたんです。

■活動休止中だった大黒摩季のアカペラに感動

 炊き出しも随分やりました。夏くらいまでに県内のあちらこちらで約15カ所。芸能関係の方が大勢、プライベートで来て下さり、本当にうれしかったですね。中でも印象的だったのは30日に母校・龍田小学校の避難所で行った炊き出しです。当時はまだ活動休止中だった大黒摩季さんがお忍びで来て下さり、当初の予定では配食ボランティアだけだったのですが、なぜか歌うことに。簡単なカラオケがあるだけでマイクもないから、アカペラです。

 曲はミリオンセラーの「ら・ら・ら」。リアルタイムで聴いてた被災者が多くて大好評。途中からみんなでサビの「ら~ら、ら、ら~」のパートは両手を上げて振り付けもやりました。すごく感動的でみんなボロボロ泣いてました。「ずっとずっとずっと一緒にいようね」という歌詞が凄く感動的で、みんなボロボロ泣いてました。私も大黒さんのお気持ちがうれしくて涙が止まりません。その様子は今も携帯電話に動画保存しています。一生の宝物ですね。

 熊本地震以降、いくつかライフスタイルを変えました。まず携帯電話の充電器を常時携帯し、玄関に非常用の携帯リュックを置く。これには2、3日分の食品や最低限の水、雑貨を入れ、それとは別に長期用の非常用バッグも用意するようにしています。

 また、万が一の際はご近所の方と助け合うのが必要と痛感したので、日頃からなるべくコミュニケーションを取る。身内や親しい人とは「いつでも会える」と思わず、機会があれば積極的に会うようにもしています。

 本丸に大きな被害が出た熊本城の修理には20年30年かかるといわれ、完全再建はまだ先。でも熊本のシンボルですから必ず復活させます。その日まで私も一生懸命頑張りますから、皆さんもぜひ応援して下さい。

最終更新:5/15(月) 12:37

日刊ゲンダイDIGITAL