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沖縄「本土復帰45年」戦後の歴史を振り返る 坂東太郎のよく分かる時事用語

5/15(月) 16:00配信

THE PAGE

 沖縄県は5月15日、1972年の本土復帰から45年を迎えました。日本が戦後復興から高度成長を成し遂げる中、米国統治下の沖縄ではどんな状況だったのか。また復帰後も残る沖縄の課題とは何なのか。まとめてみました。

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地上戦が繰り広げられた沖縄

 太平洋戦争末期の1945年4月1日、米軍は沖縄本島に上陸、展開を始めました。迎え撃つ日本軍は堅牢な地下陣地を張り巡らして持久戦へ持ち込みます。米陸軍と海兵隊を相手に激闘を繰り広げ、日本軍の最高司令官が自決した6月23日に組織的戦闘は終了。この日を沖縄県は「慰霊の日」と定めています。兵隊だけでなく一般住民の多くが戦火に巻き込まれたのが沖縄戦の特徴で県民の死者数は約12万人以上と推計されています。

 象徴的な悲劇として語られるのがひめゆり学徒隊で、病院で負傷兵の看護などにあたっていた15歳から19歳まで222人の女子生徒の多くが戦場で追い詰められ、123人が犠牲となりました。米軍はそのまま沖縄を占領。日本の敗戦後もアメリカ軍政府による直接統治が続きました。

戦後はアメリカの統治下に

 日本を占領したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、本土では間接統治を選択しました。GHQによる「指令」「勧告」は事実上絶対でしたが、形式上は議会も内閣も日本人の手で構成されたのです。対して沖縄は連合国最高司令官指令で本土と切り離されました。

 米軍の沖縄支配は「アメリカ流」でした。代表的なのが自動車の右側運行導入です。戦前の沖縄は本土と同じ左側運行であったのを変更しました。通貨も占領軍が発行する軍票や米ドルが主流となります。日本へ渡るにはパスポートが必要で外国扱いでした。

 1950(昭和25)年、軍政は改組して琉球列島米国民政府(USCAR)を設立します。長官はGHQの最高司令官と兼務で忙しかったため、副長官が主に役割を担いました。57年からは琉球列島高等弁務官へと一本化(1人)されます。長官・副長官および弁務官はすべて米陸軍将官(マッカーサーのみ元帥)。

 住民側の自治組織として誕生したのが1952年の琉球政府です。司法、立法、行政の三権分立で、行政府トップが「行政主席」。立法院の議員のみ民選で主席はアメリカが任命しました。あくまでも米国民政府(と引き継いだ高等弁務官)の下部組織で、米国民政府には立法院の決定を覆す力がありました。

 1951年の「サンフランシスコ講和条約」は翌52年発効(効力を持つ)し、日本は占領を脱して独立します。沖縄などの諸島や領域については「合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する」(条約3条)と記されました。しかし「合衆国」=アメリカは提案しなかったので、本土との分断が継続します。

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最終更新:5/20(土) 6:09
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