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きょう復帰45年 自立発展まだ遠く

琉球新報 5/15(月) 10:36配信

 沖縄は15日で1972年の日本復帰から45年の節目を迎えた。政府は「核抜き本土並み」を掲げたが、45年がたった今もなお国土面積の約0・6%の沖縄に全国の米軍専用施設面積の70%が集中する不条理な状況が続く。米軍普天間飛行場移設問題については、多くの県民の反対にもかかわらず、政府は名護市辺野古への建設工事を強行している。沖縄振興については、復帰当初、喫緊の課題だった道路やダムなどの社会基盤整備などは一定の水準に達した。その一方、公共事業を重視してきた影響を受ける格好で「子どもの貧困」対策が後回しになっていたことが、近年の調査などで浮き彫りになっている。復帰直後から目指し続けた「自立的発展」も今なお遠い状況にある。県は15日に後期5年度を迎える沖縄振興計画「沖縄21世紀ビジョン基本計画」を改定する。


◆格差是正から振興へ/振計、社会変容で重点移行

 復帰以降、政府は10年間の期間で沖縄振興(開発)計画を立て、沖縄振興の指針としてきた。最初の30年は「本土との格差是正」に重きを、31~40年は「産業振興」に重きを置くなど沖縄社会の変容に合わせ重視する分野を移行させた。

 第1次沖縄振興開発計画(1972~81年度)は「本土との格差の急速な是正」を第一の目標に掲げ、製造業の企業誘致を図ろうとしたが、日本国内の高度経済成長が終わったあおりを受けて不発に終わった。計画期間中に若夏国体(73年)や沖縄国際海洋博覧会(75年)が開催された。

 2次振計(82~91年度)では製造業など第2次産業を振興するという狙いは後退したが、本島北部に五つのダムが整備されるなど社会基盤整備が進んだ。那覇空港が拡張され、87年には沖縄海邦国体が開催された。

 3次振計(92~2001年度)では「わが国の経済社会および文化の発展に寄与する特色ある地域として整備」という目標が新たに追記され、1992年に首里城公園が開園し、2000年には九州・沖縄サミットが開催された。制度的には情報通信産業振興地域や観光振興地域、特別自由貿易地域などが創設され、現在の県内基幹産業発展の下地が整備されていった。

 四次振計(02~11年度)は計画の名称から「開発」がなくなり、復帰直後から目標だった「本土との格差の是正」の言葉もなくなった。情報通信産業特別地区や金融業務特別地区、産業高度化地域が創設されるなど産業振興の色合いが濃くなった。

 県が主体的に策定した振興計画「沖縄21世紀ビジョン基本計画」(12~21年度)を含め5次にわたる振興計画全てに「自立的発展の基礎条件の整備」が目標として打ち出されている。一方、財政依存度は復帰直後より高くなっているという課題も、復帰45年の節目を迎えた沖縄社会に横たわっている。

琉球新報社

最終更新:5/15(月) 10:36

琉球新報