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「消えた商店街」写真発見 平和推進協会の調査部会 貴重な暮らしの記録

長崎新聞 5/15(月) 10:38配信

 長崎平和推進協会写真資料調査部会(深堀好敏部会長)が、長崎原爆の爆心地から約300メートルの駒場町(現在の松山町)にあり、消失する前の商店通りを撮影した写真を見つけた。深堀部会長は「原爆投下前の爆心地周辺の写真は、日本軍が撮影を規制していたほか、原爆で壊滅的な被害を受けたためあまり残っていない。当時の暮らしを知る貴重な記録」としている。

 写真は、当時この場所で米穀店を営み、現在は平野町に移転した米穀商「宮村商会」の宮村俊己社長(67)が所有。創業者で1994年に93歳で亡くなった父、進さんの遺品として自宅で保管していた。原爆投下時、進さんは仕事で爆心地から約4・5キロ離れた上小島方面へ出掛けていたため助かったが、前妻とその間に生まれた一人息子は爆死。進さんはその後再婚し、長男の宮村社長が店を継いだ。宮村社長は「父がどこで写真を入手したかは聞いていない。原爆で思い出の品はすべて失ったはずで、戦後に知人から譲り受けたのではないか」と話す。

 深堀部会長は、写真左側の建物の2階端に「米穀商宮村商會」と書いた看板があり、中央奥に旧城山国民学校(現市立城山小)の校舎が見えることから場所を特定。配給を待っているとみられる人々の行列があるほか、写真の裏に日本軍の検閲印があったことから戦時中に撮影したとみられるという。

 長崎市が作成した爆心地周辺の復元地図によると、商店通りには「(米屋)宮村」のほか、果物や食堂など多くの店が並んでいた。原爆で焼け野原となり、現在は陸上競技場やラグビー・サッカー場などスポーツ施設が整備されている。

 かつて駒場町に住み、10歳の時に爆心地から約800メートルの防空壕(ごう)で被爆した長崎原爆遺族会顧問の下平作江さん(82)は「ここは今で言う商店街で、幼いころに米屋の前で配給を待った記憶がある。写真に写っている人々の多くは原爆で亡くなったと思う。日常を一瞬で奪われた無念さを思うと胸が締め付けられる」と語った。

長崎新聞社

最終更新:5/15(月) 11:04

長崎新聞