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【あの時・なんばグランド花月の30年】(3)ダウンタウンの衝撃

スポーツ報知 5/15(月) 15:00配信

 なんばグランド花月から直線距離で約600メートルの場所にある「心斎橋筋2丁目劇場」では、女子中高生を中心としたお笑いブームが起こっていた。主人公はダウンタウン。仕掛け人は大崎洋、現在の社長である。

 NSC1期生として入学した2人の才能をいち早く見抜いた大崎は、この劇場を拠点に若手コンビ主体のイベントを開催。87年4月からは、2人がMCを務める毎日放送「4時ですよーだ」を月~金曜の夕方に同劇場から生放送した。“本家”とは一線を画した小さな劇場は、やがて社会現象となる。「異様でしたね。お笑いの町から出てきた、自分たちを代表するオモロイ兄ちゃんやったからかな。もう、そういう人はなかなか現れないと思う」。同劇場に携わり、ダウンタウンのマネジャーを務めた新田敦生は振り返る。

 新田は数年前、ブラックマヨネーズの小杉竜一がダウンタウンに話していた昔話を覚えている。「僕らが高校生の時は、クラスが松っちゃん派か浜ちゃん派に分かれてたんです。その中に1人だけ(光GENJIの)諸星派がおって、まったく居場所がなかった」。2人の人気は、ジャニーズのアイドルと比較されるものだった。

 ダウンタウンが東京へ進出したことで、番組は2年半で終了。大阪では無敵のコンビも、東京で仕事を始めた頃はもちろん、まだ無名だった。「2人が漫才のネタ合わせするのを僕が間で聞いてたら、音声さんがトリオやと思ってピンマイクを3つ持ってきた」。だが、その才能を世間が放っておくはずがない。ほどなく冠番組を持ち、多忙を極めた。「自分たちがいなければ成立しないテレビ収録を飛ばした(欠席した)ことはあっても、僕がついている間は、劇場は1回もトチって(すっぽかして)ないです。それは(一緒に出演する)師匠方に迷惑がかかるから」。ダウンタウンにとっても、舞台とはそういう場所だった。

 伝統的な笑いに対するアンチテーゼとして起こった新たな笑いのムーブメントは、若手を巻き込み、なんばグランド花月に波及していく。ところが、その波に乗りきれない一団がいた。吉本新喜劇だ。59年に「吉本ヴァラエティ」として発足。花菱アチャコ、大村崑らスターを擁して人気となったが、80年代前半の漫才ブームにも押され低迷。安定したボケとツッコミ、ギャグは中高年に支持される一方、若者にはマンネリに映った。この状況を打破しなければ―。白羽の矢が立ったのは、またもや大崎だった。そして、想像もつかない大胆な策に打って出た。(河井 真理)=敬称略=

 ◆関西の若手お笑い番組ブーム 「4時ですよーだ」の人気に引っ張られ、87年11月から清水圭・和泉修がMCを務める関西テレビ「素敵!KEI―SHU5」(月~金曜・後5時)が開始。88年10月からは森脇健児と山田雅人の司会で読売テレビ「ざまぁKANKAN!」(月~金曜・後5時)も始まった。90年9月の同番組最終回イベントには、大阪城ホールに1万人を動員する人気だった。

最終更新:5/15(月) 15:00

スポーツ報知