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社説[復帰45年 子宝の島で]問われる次世代育成力

5/15(月) 9:00配信

沖縄タイムス

 沖縄が持つ「全国一」の指標の中でも際立つのは出生率の高さである。

 人口千人当たりの出生率は11・9で42年連続して日本一。女性が生涯に産む子どもの数を表す合計特殊出生率も1・96で31年連続1位を誇る。

 「銭(じん)とぅ笑(わらー)らん、子(くゎ)とぅどぅ笑(わらー)りる」という沖縄のことわざがある。出生率を支える要因の一つになっているのが、子に勝る宝はないとの価値観だ。

 那覇市首里石嶺町にある「みどり保育園」園長、石川キヨ子さんは子宝の島で45年間、保育の仕事を続けている。

 復帰前の約4年間、石川さんは基地に近い普天間の歓楽街で美容師として働き、米兵相手に仕事をする女性たちと接してきた。

 客の多くはシングルマザーや苦しい生活を強いられている母親たち。そのうち「見る人がいない」という子をあずかり始めた。ほどなく美容室のソファは子どもに占領されるようになったという。

 子育てのサポートが得られない母親たち、不安定な環境で育つ子どもたち。石川さんを保育の道へと導いたのは普天間での経験である。

 復帰の年に開園した「みどり保育園」は、数々の先駆的な事業で知られる。

 「幼稚園に行くと仕事を辞めなければならない」との母親の訴えから始まった5歳児保育、専業主婦の育児支援にも目を向けた子育て支援センターの設置。いずれも自主事業としてのスタートだった。

 困っている親子を放っておけず、保育行政のすき間を埋めてきたのである。

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 沖縄の出生率の高さはしばしば理想の家族風景として語られる。

 しかし全国一の出生率は子育て環境が整っていたからではない。古くからの共同体的精神と男子の出産を強く期待する社会的圧力などが働いていたためで、むしろ子育ての社会的基盤は脆弱(ぜいじゃく)だった。

 琉球政府が本土法に準じて児童福祉法を制定したのは1953年。貧弱な保育政策のもと、保育所整備は進まなかった。日政援助による公立保育所の整備によって72年4月に77カ所の保育所が整備されたが、類似県の4割程度の整備にとどまっていた。(「沖縄の保育・子育て問題」)

 人口比で全国ワーストとなる待機児童、5歳児保育の不足などは、保育政策の立ち遅れを今も引きずっている。

 認可外保育園が認可園に入れない子どもの受け皿となり、幼稚園児の放課後の居場所を学童保育が担うのも本土では見られない光景だ。

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 子どもの貧困対策では、乳幼児期の手厚いサポートが貧困の連鎖を断ち切る力となることが指摘されている。子育て環境の厳しさが、経済的に苦しい立場にある親子を直撃するからだ。

 県が子ども・子育て支援の基本方針とする計画の通称は「黄金(くがに)っ子応援プラン」。社会の希望である子どもたちを「黄金」の言葉で表現する。

 子どもの育ちを支えることは沖縄の未来につながる。それは県政の最重要課題であり、その責任は県民全体で負わなければならない。

最終更新:5/15(月) 10:40
沖縄タイムス