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ぷよぷよをつくった天才クリエーター仁井谷正充さん、いま何してる? ゲーム界のレジェンドの栄華と没落

5/19(金) 7:01配信

withnews

 ゴールデンウィーク(GW)が終わってしまいました。全国的に好天に恵まれた今年のGW。どこにも出かけずに家に引きこもってゲームざんまいだった人もいるかと思います。

【動画】仁井谷社長が語った「絶頂期の生活」 仁井谷正充社長の波乱万丈記(風雲編)

 ゲームといえば、90年代に大流行した「ぷよぷよ」というゲームを知っていますか?

 画面上部から落ちてくるぷよぷよしたキャラクターを同じ色でまとめ、4匹がくっつくとキャラがはじけて消滅。その消滅の大きさ(連鎖)に応じて対戦相手に邪魔なキャラを降らせ、ゲームオーバーを誘うゲームです。テトリスとともに「落ち物パズルゲーム(落ちゲー)」の中で、空前のブームを巻き起こしました。

 そんな、ぷよぷよをつくった伝説のクリエーターが、いま家賃5万円のアパートで細々と暮らしているらしい……。話を聞きに、訪ねました。

千葉・新松戸の2DKに常磐線の電車音

 ピンポーン。

 「はーい」

 ぷよぷよのレジェンドこと仁井谷正充さん(67)=千葉県新松戸=は現在、家賃5万円のアパートで一人暮らしをしていました。

「男やもめに○○がわく」ということわざのごとく、お世辞にもきれいとはいえない2DK。足の踏み場に気をつけながら、台所とベッドが隣接する部屋を抜けます。

 奥の居間は巨大モニターとこたつがドーンと据えられ、その周りにゲームやら本やら衣類やらバッグやらが雑然と積み重なっています。

 障子越しに西日がさす、ほの暗い居間。窓のそばを走る常磐線の電車が通り抜けていく音が鳴り響きます。

 「ぷよぷよの社長をやってた最盛期は月収1千万円ぐらい。自社株を買うのに使ったから、倒産したら何にも残らなかった。残ってたらこんなところに住んでいないでしょ。離婚もしましたし」。

 こたつにすっぽり入った仁井谷さんが半生を語り始めました。

学生運動で除籍、広電車掌からショップ店員に

 1950年、広島県三原市生まれ。

 秀才だった仁井谷少年は広島大学理学部に現役合格するものの、ときは学生運動が盛んだった〝1969〟。学業そっちのけでのめり込み、果ては三里塚闘争で逮捕され、広島大学は7年在籍したのち除籍となります。その後、広島電鉄の車掌をやったり、塾を経営したり。職を転々とし、やがてPCショップ店員に落ち着きます。

 ショップ勤めかたわら、PCの草分けといわれる「Apple2」を購入し、家でひとりコツコツとゲーム開発を始めた仁井谷青年。そのとき28歳。「モノをつくるのはもともと好きだった。作ったモノが自分の設計通りに動くのが楽しかったから」と振り返ります。

 プログラミングは本を片手に独学で身につけたそうです。

 そして転機が訪れます。

 「ゲームボーイでテトリスが世界中ではやっていた。作るなら落ちゲーだと思った」

 91年、ぷよぷよの誕生です。

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最終更新:5/19(金) 9:18
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