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都筑の豪商・中山恒三郎家所蔵資料を大量発掘 横浜内陸部の新発見に期待

産経新聞 5/16(火) 7:55配信

 江戸時代後期から昭和に及ぶ横浜市内陸部の地域経済の様子がうかがえる貴重な資料を発掘-。同市都筑区川和町のかつての豪商、旧中山恒三郎家の書院(書庫)や蔵で、古記録や写真、看板など合わせて数万点の資料が保存されているのが見つかった。同市臨海部の開港時の資料などは比較的多くあるが、内陸部の当時の生活や経済状況などを知ることができる資料の大量発掘は珍しく、横浜開港資料館では今後10年程度をかけて資料を整理し、順次市民に公開する考えだ。(那須慎一)

 横浜市営地下鉄グリーンラインの川和町駅から横浜上麻生道路を中山方面に歩くこと約10分。今回、資料が見つかった中山恒三郎の旧家が見えてくる。

 中山恒三郎家は、江戸時代から当時の都筑郡川和村(現・都筑区川和町)に居住した中山一族の流れをくむ家で、幕末期に初代恒三郎が中山五蔵家から分家し、新宅となった家という。

 ◆歴代当主の日記も

 中山恒三郎家は、菊の栽培を主としたほか、明治以降、塩やしょう油、酒、たばこの販売にも従事するなど地域経済の発展にも貢献。さらに明治29(1896)年には、製糸工場を運営する「太陽合資会社」を設立し、生産した生糸は、横浜の生糸貿易商の手を経て、遠く米国に輸出されたという。

 今回、見つかったのは、菊栽培の歴史や商売に関する記録、製糸会社の経営帳簿や出勤簿、江戸時代の川和村に関する絵地図、歴代当主の日記など。特に製糸工場で働いていたとみられる女工らの出勤簿の実物がきれいに保存されている点などは、当時を知るために貴重な情報とされる。

 一時期しょう油製造をしていたため、しょう油の麹を作るレンガ造りの施設やもろみ蔵などがそのまま残っている点も貴重だ。最近まで商品倉庫となっていた蔵の中には、戦前の「キリンレモン」の中身の入った瓶などもあって興味深い。

 ◆「正直、驚いた」

 今回の貴重な資料は、川和保育園を別の場所から移設するために旧家の取り壊しを検討した際、今まで中身の確認などをしてこなかった書院や蔵にある資料の調査を横浜開港資料館に依頼したことで、発掘につながった。貴重な建物ということもあり、今回、書院は敷地内で移設されたほか、倉庫などもいずれ整備したい考えだ。

 新宅の6代目当主で、中山家分家の資産管理などを行う中山健さん(54)は「(保存しているものが)すごい資料だと聞いて正直、驚いた。地域の歴史を明らかにするために役立ったらうれしい」と話した。

 開港資料館の吉田律人調査研究員は「高度経済成長期あたりで、開発のために旧家屋の建て壊しなどが進み、貴重な資料が捨てられてしまうことも多かった。江戸末期から、明治、大正、昭和に至る資料がこれだけ大量に出ることはなかなかないのではないか。調査を進めることで、横浜内陸部の歴史で新たな発見があるかもしれない」と期待を込める。

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【用語解説】都筑区川和町

 横浜開港資料館によると、横浜市の北西部に位置する都筑、青葉、緑、旭の4区の地域は、かつて都筑郡に属し、その郡役所は都田村大字川和と呼ばれていた現在の都筑区川和町にあった。昭和47年までは緑区役所も川和町にあり、かつては横浜北西部の中心地だったことがうかがえる。

最終更新:5/16(火) 7:55

産経新聞