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新旧女子プロ野球選手が世代を超え交流 変わったこと、変わらないモノとは…

スポーツ報知 5/17(水) 10:03配信

 女子プロ野球・埼玉アストライアの選手が16日、1950~60年代に存在した女子プロ野球の白元でプレーした元選手の、都内で行われた“同窓会”に参加。50歳以上離れた大先輩との交流で大いに刺激を受けた。

【写真】野球女子を身近にさせた、稲村亜美

 旧女子プロ野球は48年ごろから実業団チームが関東、関西、中京圏で相次ぎ発足。表皮がゴムの準硬式球を使用し、バッテリー間は5フィート短い16・8メートル。短パンユニホームなど独自のルール(現リーグは男子と同じ)で一時は25チームが試合を行っていた。白元は56年に岡田乾電池などの選手を引き継ぎ創設、66年に解散するまでに65名が在籍した。リーグもこの年で終了。2010年に現在の女子プロ野球リーグがスタートしたが、新旧の関連はない。

 同窓会には、1期メンバーの阿部シゲエさん(81)、野上(旧姓・名飯)かな子さん(81)、山田(旧姓・福田)静子さん(80)ら7名が集まった。アストライアからは中島梨紗監督(30)、萱野未久(28)、奥村奈未(21)が参加。おばあちゃんと孫ほど離れた女子同士の野球トークが約2時間続いた。

 足袋を履き公園で練習したり、UV化粧品も無くすっぴんで1日何試合もプレーしていたことや、スポーツドリンク代わりに塩水を飲んでいたと聞かされた3人は驚き。「あの頃はカーブかドロップ(縦カーブ)、直球しかなかった。シンカーとかスライダーとか無かったしね」と時代の違いを感じさせる一方で、「普通に120キロは出していた」と聞くと、身体能力は現在と変わらないことを再認識。さらには後楽園球場で行われた試合に1万7000人の観客を集めたと知らされると、その盛り上がりに驚いた。

 当時は女子野球の育成環境が整っておらず、ほとんどはソフトボールからの転向組。中学時代に巨人の広岡達朗に憧れたという阿部さんは、栃木・須賀高(現・宇都宮短大附属高)時代に高校総体で全国優勝、プロ入り後は投手・遊撃で活躍した。「阿部さんは広岡さん同様に華麗なプレーでしたよ。あの時代もレベルは高かったと思います」と、後輩だった石川光江さん(77)。一方で山田さんは「女のくせにとか、お嫁に行けないとか言われました。努力を重ねることで認知された」と当時の苦労を振り返る。それでも「みんな幸せだったわよ。私はキャッチャーやっていたけれど、あの経験のおかげで今があると思っている」と続けた。

 空いた時間に漂白剤のサンプルを配って、自社をPRしていたという彼女たち。しかしテレビが普及し、CMで宣伝できるようになると女子野球を利用していた企業は相次いで撤退し、女子プロ野球の歴史は途絶えた。大和撫子で家庭に入るのが良しとされた時代。龍谷(旧姓・山崎)邦子さん(80)は、引退後は野球のことを口にしなくなったというが「頭の中はずっと野球でした。時代が良くなかった。今は堂々と野球がやれるのがうらやましい」と、こぼした。

 日本代表「マドンナジャパン」でW杯に5大会連続で出場、引退後はコーチとしても選出された中島監督は、「道具や環境は違うけれど、今の私たちと同じ。後楽園1万7000人はすごいなと思います」と感想。「自分が80歳になったときに、『あの頃は楽しかった』と言えるように、今を大事にしたい」と見据えた。萱野も、おばあちゃん世代と野球トークした経験は初めてとして「野球が大好きで、その気持ちを忘れちゃいけないと思った」。奥村も「全てが驚きでした。歴史を築いて、私もこういうおばあちゃんになりたい」と話していた。

 野球をやっている孫がいたり、今でもプロ野球が大好きと語った“レジェンド”たち。最後に記念写真に納まり、野球が結んだ縁に感謝した。

最終更新:5/19(金) 9:14

スポーツ報知

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