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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」=ポルト・ヴェーリョとパウマス(26)約5ヘクタールを500レアルで購入

5/16(火) 9:15配信

ニッケイ新聞

 トカンチンス日伯文化協会の創立は1996年6月20日。パウマスの町が始まって6年目だ。会館は日本政府の支援で、移民百周年の直前、2007年に建設された。故郷巡り一行が来たすぐ後に、ブラジリアの日本国大使館によって草の根を使った体育館建設援助の署名式も行われた。
 日本語教室もあり現在の生徒は12人。和太鼓は十代の若者が15人いる。珍しいところでは、地域的に盛んでトライアスロン部があり、「日系人が15人ぐらいやっている」とのこと。
 中村ネルソン会長は「僕はサンパウロ州リンス出身で、野菜を作っていたが、労働裁判に悩まされていた。あとエタノール製造所がどんどんサトウキビ畑を増やし、使える土地がドンドンなくなり、行き詰まりを感じていた。従兄弟のエジソンと話し合って『ノルチを見に行こう』となり、2003年に来てみたら、1アルケロン(4・8ヘクタール)がたった500レアルだった。これは試してみなきゃとやって来た」と語った。
 サンパウロ州の1アルケールは2・4ヘクタールだが、ミナス州やゴヤス州では2倍の4・8ヘクタールあり、「アルケロン」と呼ばれている。
 中村会長の「約5Haで500レアル」のくだりでは、会場から驚きの声が上がった。会長が「その代り、最初の開拓では1年間、椰子葺きの家で暮らした。僕の農場はここから300キロのところ。この辺では近い方」というと再び会場がどよめいた。

 中村さんの妻メリーさんによれば、20年前に日本に研修に行った際、夫と知り合って結婚したという。
 2000年にパウマスに来たという谷口エドゥアルドさん(65、聖州ビラ・プルデンテ生まれ、三世)は、「日立製作所のエアコン会社に22年近く務めた。1995年にヴェージャ誌でトカンチンスの記事を読んで、最初に見に行きたいと思った。でも2千キロ離れていると思って、その時はやめた。その後4年ぐらいして『もっとトカンチンスが伸びている』という記事が再び出たのを見て、見に来るのを決めた」という。
 「僕が来た頃、パウマスの人口は15万人ぐらい。でも町を歩いていても人の姿が見えない。市役所の建築関係者に尋ねたら、中心の通りから1キロ離れたところに住宅街があると教えてくれた。実際に住宅街に行ってみたら、タケノコが生えてくるような感じに見えた。この町は伸びると直感し、ここにはサンパウロにはない計画性がある都市だと将来性を感じた」という。
 建築資材が儲かると感じ、コンクリートブロックの生産販売を始めた。「毎年販売が増えている。最初の頃の20倍にはなった」と確かな手ごたえを感じている。
 農業以外に関して、「ここには民間企業が少ない。日本の進出企業もほぼいない。経済活動の大きな部分が政府の支出に頼っている。その面がまだ弱い。町が自分の脚で歩くようになる、民間企業が自然と拡大していくには人口40万人まで増える必要があると思う」と見ている。まさに建設途上の町だ。(つづく、深沢正雪記者)

最終更新:5/16(火) 9:15
ニッケイ新聞