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<痴漢>身に覚えがない場合…逃げるは損だし罪になる

毎日新聞 5/17(水) 17:01配信

 痴漢を疑われ、逃げる人が後を絶たない。線路に下りて電車にはねられたり、ビルから転落死したり、命を落とすケースも相次ぐ。もし、やっていないのに疑われたら……。長期勾留や有罪率の高さから「逃げるしかない」とも言われてきた。しかし、専門家は「逃げるな」という。痴漢冤罪(えんざい)の新しい“常識”とは?【小国綾子/統合デジタル取材センター】

 ◇弁護士へのアクセス手段を

 痴漢を疑われ、逃げるケースが相次ぎ、とうとう死亡事故まで発生した。15日には東急田園都市線青葉台駅で30代男性が線路に飛び降り、列車にはねられ死亡。12日にはJR上野駅から逃走した40代の男性が近くのビル脇で転落死。死亡事故ではないが、11日にはJR新橋駅で20~30代と見られる男が線路に飛び降りて逃走し、電車を止め、約5万人に影響が出た。

 痴漢は許されない。しかし、痴漢冤罪もまた、そうだ。

 絶対に逃げてはいけない--。インターネット上のブログで強く呼びかけたのは、千葉県流山市の三浦義隆弁護士。「痴漢を疑われても逃げるべきではない理由」(12日)「痴漢を疑われた場合の弁護士アクセス手段をいくつか挙げておこう」(14日)の2本の記事は合計15万回以上閲覧された。

 「駅事務室に連れて行かれる前に、知り合いの弁護士に連絡し、その場を平穏に立ち去るべし」と対応を指南した記事に、「弁護士の知り合いなどいない」という声が多く寄せられた。そこで三浦さんが「住所氏名をメールしてくれれば、私の携帯電話番号を教える」と書き添えたところ、実際に約50人から依頼があったという。「多くは男性からでしたが、夫が心配という妻や『都会に暮らす息子に教えたい』という地方の母親からも。実際には、痴漢冤罪に巻き込まれる可能性はそう大きくないはずなのですが、満員電車で通勤する人にとって痴漢はもっとも身近で不安な冤罪なのでしょう」と三浦さん。

 満員電車では、疑われないように両手を挙げて“バンザイ通勤”をする男性が少なくない。ネット上では「男性専用車両も作って」「痴漢はもはや男女両方の敵」などの声も上がる。

 痴漢冤罪をテーマにした映画「それでもボクはやってない」(周防正行監督)が公開された2007年当時、法律の専門家ですら「疑われたら走って逃げるしかない」と助言したものだった。ひとたび痴漢の疑いで逮捕されれば、容疑を否認している限り、最大23日間、身柄拘束され、起訴されれば有罪率は99%以上。職場に知られ、仕事を失う恐れもある。逮捕されたら、おしまい。だから、逃げろ、と。

 「でも今は逃げてはいけない」と全国痴漢冤罪弁護団の生駒巌弁護士も強調する。「人質司法」への批判が強まり、否認しても勾留されないケースが増えてきたからだ。「私の担当した事件では、初犯で身元が確かなら、勾留されなかったり、勾留決定が取り消されたりするケースが多い。検察の不起訴や結論棚上げも少なくない」(生駒さん)

 勾留請求されなければ逮捕から最大72時間で釈放され、周囲に知られずに済む可能性も高い。

 ◇駅事務室に行く前に

 三浦さんも生駒さんも「逃げるのはかえって不利」と口をそろえる。逃走中に他人をけがさせれば傷害、他人の敷地に入れば住居侵入、線路に下りれば往来妨害などの罪に問われかねない。

 実際、運休などの被害が相次いでいることについて、JR東日本は「責任の所在が明確であれば損害賠償訴訟を起こすこともありえる」(広報部)と説明する。

 駅施設には防犯カメラが集中する。逮捕されたら勾留は必至だ。4月25日にはJR埼京線板橋駅から線路に飛び降り逃走した埼玉県の男(41)が翌日、都迷惑防止条例違反(痴漢)容疑で逮捕されている。

 痴漢冤罪で「逃げてはいけない」ならば、具体的に、どう行動すればよいのか。

 生駒さんは「逃げるのではなく、上手に立ち去れ」と助言する。駅の事務室に連れて行かれ、警察に引き渡されれば、私人逮捕(一般人による現行犯逮捕)の体裁が整ってしまい、逮捕は免れない。だから理想的なのは、駅事務室に連れて行かれる前にその場を立ち去ること、なのだ。

 生駒さんは「駅事務室に連れて行かれる前に名刺を出すなど身分を明らかにし、堂々とその場を立ち去れば、逮捕を逃れられる。知り合いの弁護士に来てもらえれば、証拠隠滅や逃亡の恐れのない人を逮捕するのはおかしいと法的に主張してもらえるので、その場を立ち去れる可能性はより高まるでしょう」と助言する。

 ◇家族や友人などに助けを

 それでも、やむなく駅事務所に連れて行かれたらどうすれば良いのか。

 生駒さんは「警察が来る前に、友達や家族に連絡し、痴漢冤罪事件に詳しい弁護士を探してもらうことも有効」という。逮捕後は家族と連絡を取ることすら困難だからだ。

 逮捕後は当番弁護士を頼める。刑事弁護に詳しい安武雄一郎弁護士は「当番弁護士には、駅事務室に連れて行かれる前に駅に駆けつけるような対応は難しいだろうが、勾留される前に身柄拘束が解かれるよう弁護活動はできる。最初の面会は無料。有料でその後の弁護を頼める。弁護士費用が払えない人には援助制度もある」と説明する。

 疑いを晴らすためには日ごろの人間関係も大切だ。生駒さんの知る範囲でも、妻や友人が熱心に現場でチラシを配るなどして目撃者を探し出し、無罪判決を得たケースがあったという。

 「人質司法」や推定無罪の原則の軽視など、日本の刑事司法の抱える問題を象徴しているともいえる痴漢冤罪。少しずつではあるが、「逃げるしか道がない」は変わり始めている。

最終更新:5/17(水) 22:56

毎日新聞