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ブラジル人初のディズニーアニメ監督=夢叶えた松田レオナルドさん=母はデカセギで学費仕送り

ニッケイ新聞 5/17(水) 7:12配信

ブラジル人のディズニーアニメ映画監督松田さん(本人提供)

写真2位=映画の一場面(C 2016 Disney “Inner Workings“ from “Inner Workings“ Official Trailer)


 ブラジルで1月5日に公開されたディズニー映画『モアナ(邦題:モアナと伝説の海)』の同時上映作品『トラバーリョ・インテルノ(インナー・ワーキング、以下IW)』。安定志向の主人公が人生の楽しみを求め葛藤する様子を描いた約6分の短編アニメだ。伯人初のディズニーアニメ映画の監督となった日系ブラジル人の松田レオナルドさん(35、二世)=米国カリフォルニア州在住=の影には、日本で働いて学費を稼いだ母の姿があった。ひたむきに夢を追いかける松田さんに話を聞いた。

 サンパウロ州サンジョゼ・ドス・カンポス市で生まれた松田さんは幼い頃から絵を描くことが好きだった。父は戦後移民、母は三世だった。10歳頃に母が訪日就労し、その後は祖母と暮らした。「祖母は僕の第二の母。文協の野球クラブの練習に連れて行かれることもあった」と振り返った。
 松田さんは宮崎駿監督の作品や「ダンボ」などディズニー映画の魅力に取り付かれ、15歳でアニメーターを目指し始めた。99年にマッケンジー大学の製品デザイン科に入学し、さらにマウリシオ・デ・ソウザのアニメスタジオでアシスタントとして3年働いた。
 大学卒業後すぐに「世界のアニメが知りたい」と米国のカリフォルニア州サンディエゴ市の語学学校に留学した。同地の豊かなアニメ文化に触れ、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオで働くことを志すようになった。そしてアニメーションを一から学ぶため、カリフォルニア芸術大学(CalArts)に入学した。
 松田さんは2002年当時を振り返り、「本当に大変だった。言葉も文化も違うし、前年にアメリカ同時多発テロがあり、当時は『外国人』に対する風当たりの強さに悩んだ」と語った。
 1961年にウォルト・ディズニーと兄のロイが関わり設立された同大学は、ディズニースタジオで働く著名なアニメーターを多く輩出している。松田さんは同大学卒業後、ピクサーなどのアニメ制作会社で働き、2008年末にディズニーから仕事を打診されようやく入社した。

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最終更新:5/17(水) 7:12

ニッケイ新聞