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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」ポルト・ヴェーリョとパウマス(27)世界の果てのムンド・ノーボ(新世界)

ニッケイ新聞 5/17(水) 7:22配信

 令香・中島・ビオラットさん(れいか、65、二世)さんは1989年にやってきた、最初の日系人だ。トカンチンス州が独立した年だ。夫アントニ・ジェラルド・ビオラットさん(66)が水力発電所の配電技師だった関係で、州独立に伴って聖州バウルーの本社から派遣され、そのまま住んでいる。
 令香さんは「最初は野菜がなくて困ったわ。キャベツとアルファッセぐらいしかないの。白菜、ゴボウ、しいたけ、シメジとかサンパウロから持ってくるからすごく高かった」と振りかえる。
 彼女がパウマスで最初に寿司を広めた人物だとう。「私は日伯協会の創立会員でもあるの。1996年に創立して、日本祭りを始めた時、私が寿司などの日本食を作ったの。そしたら『あれは誰が作ったんだ』と評判が広がって、今じゃ自宅で注文を受けるようになったわ」。そうやって日本食が普及し始めたことから、今ではパウマス市内には6軒の日本食レストランがあるという。
 「日系人がこの町に増え始めたのは2000年頃から。州の農業が活発化し始めて、サンパウロ州やパラナ州から若い日系農家が入って来るようになった。最初に息子が来て、うまく行ったら親を連れてくるというパターンね。農家だけでなく、日系弁護士、医者、歯医者も増えているわ。エストラとかアタカドンとかの大手スーパーチェーンができたのもその頃よ」と証言する。
 まさに今世紀に入ってから。本当に最近の動きだ。

 中村ネルソン会長の母・賀寿子さん(かずこ、73、リンス生まれ二世)は、息子に呼ばれて2012年にパウマスへ来た。「養蚕、バタタ、養鶏、野菜など、コチアがつぶれた後も、COALINS(組合)をみんなで作って農業を続けてきた。今じゃ、カンナばかりになって、リンスの土地はすごい値段が上がっている。だから、それを売ってこっちに来たの。最初半分売って息子たちがこっちで土地買う資金にして、私たちが来るときに残りも売って来た。うちの息子は1千ヘクタール以上、大豆をやっているわ」。
 ふと思いついて「リンスの土地は何へクタールだったんですか」と尋ねた。「200ヘクタールよ。知っているかしら、いわゆる『多羅間耕地』と呼ばれていたところよ」と答えたので、衝撃が走った。
 バウルー領事館の多羅間鉄輔領事は平野植民地やアリアンサ創設に尽力し、退官した後は、1929年に自ら移住して「多羅間耕地」開いた。日本人会会長も務め、戦争中に交換船で日本に帰国することもできたが断り、ブラジルに骨を埋めた人物だ。戦後はきぬ未亡人が、戦後初の総理となった東久邇宮稔彦殿下の第三子を養子に迎えて、ブラジルに呼んだ。それが「多羅間殿下」と愛称された俊彦さんだった。
 戦前からの伝統がある多羅間耕地が、ブラジルで最も新しいフロンティアに真っすぐつながっていた――。
 賀寿子さんは言った。「リンスでトカンチンスに行くと言ったら、友達から『フィン・ド・ムンド(世界の果て)よ』と言われた。でも、来たらわかりました。ここはムンド・ノーボ(新世界)です」。(つづく、深沢正雪記者)

最終更新:5/17(水) 7:22

ニッケイ新聞