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村田諒太の優位性 ミドルに挑んだ男たちの目/連載

日刊スポーツ 5/17(水) 10:04配信

<世界の頂から頂へ2>

 ボクシングのWBA世界ミドル級王座決定戦に臨むロンドン五輪金メダリスト村田諒太(31=帝拳)の連載「世界の頂から頂へ」の第2回は、日本人でミドル級のベルトに迫った男たちの証言。全階級で最も層が厚い人気階級の現実とは-。ともにWBAタイトルに挑んだ佐藤幸治(36)石田順裕(41)両氏に聞いた。

【写真】13年にWBA王者ゴロフキンに挑戦した石田順裕

 もう50歳を目前にしたジャマイカ人指導者の動きがまねできない。佐藤は強烈な先制パンチを浴びていた。04年、米国ラスベガス。ミドル級含む元3階級制覇王者マッカラムが、パンチングボールをリズム良く打つ動きが、どうしてもできない。「速く、軽やか。日本でいう軽量級の動きを重量級がやっていた。衝撃で」。

 日本ではアマチュアで敵無しだった。日大進学後は全日本選手権5連覇(03年大会決勝では村田に勝利)を含む13冠。プロ転向し、帝拳ジムに求めたのが半年間の米国武者修行だった。世界各国から猛者が集う中、マッカラムとの最初の練習から過酷さは予想できた。「スパーが終わると、腹が痛い。寝られない時も。『起きたら日本なら』と何度も思った」。その現実が世界の壁だった。

 それでも心は折れなかった。たどり着いた世界初挑戦は15戦目。09年に敵地ドイツでWBA王者シュトルムに向かった。そこでさらに高い壁を知る。構えようとすると左ジャブをもらう、の連続。佐藤もジャブの名手だったが「僕のジャブは偽者だった。世界王者は住む世界が違った」。ほぼ左ジャブだけで圧倒され、7回TKOで完敗。2度目のチャンスはこなかった。

 佐藤から約4年後、モナコで同じWBAのベルトに挑んだのが石田だ。現在3団体統一王者としてミドル級に君臨するゴロフキン(カザフスタン)と拳を交えた。「モナコ大公も見にきていた」と、その注目度を振り返る。

 06年から合宿で米国に渡り、スパーリング相手を探し求めた。本場で脚光を浴びたのは11年。WBO世界ミドル級4位で27戦全勝(24KO)カークランド(米国)に1回TKOで勝った。番狂わせに会場は沸騰。「その後にメインの試合を見に行ったら、会場中からすごい喝采を浴びた。試合から2年後でも、まだカークランド戦のことを言われたり」。米国で1番人気の階級のすごみを肌で感じた。その後、海外を転戦し、日本人の開拓者として中量級戦線で活躍。ファイトマネーは「日本の金額に0が1つ(1桁)ついたくらい違かった」と言う。

 2人は村田の世界戦をどう見るか。佐藤は「海外では試合直前の細かな部分で気を取られる。日本でやれるのは大きい」とみる。石田は「アマ時代から世界中の選手と試合をしている。だから黒人だからパンチあって強い、とかじゃないって分かっている。人種じゃないと。だから自信をもっている。それが一番大きいんじゃないか」と精神面に優位性を見いだした。

(敬称略)【阿部健吾、益田一弘】

 ◆佐藤幸治(さとう・こうじ)1980年(昭55)12月11日、千葉・野田市生まれ。中3から競技を始め、5連覇した全日本選手権ではライトミドル、ウエルター、ミドルと3階級制覇。04年にプロ転向し、07、09年に東洋太平洋ミドル級王座。12年に引退。戦績は20勝(18KO)2敗。現在は日本シークレット・サービスに勤務している。

 ◆石田順裕(いしだ・のぶひろ)1975年(昭50)8月18日、熊本県長洲町生まれ。98年全日本社会人ライトミドル級優勝。00年5月プロデビュー。スーパーウエルター級の日本、東洋太平洋王座を獲得し、09年にWBA世界同級暫定王者。ミドル級の世界王座には12年にWBOで挑戦(判定負け)、13年にWBAで挑戦(3回TKO負け)。15年に引退。戦績は27勝(11KO)11敗2分け。大阪寝屋川石田ボクシングクラブ会長。

最終更新:5/17(水) 10:32

日刊スポーツ