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戦地の父、家族思い142通、ネットで手紙公開

神戸新聞NEXT 5/18(木) 7:30配信

 神戸市垂水区の小田桐一良(かずよし)さん(81)が、太平洋戦争中に戦地の父から届いた「軍事郵便」を、自身のウェブサイトで公開している。1945(昭和20)年4月に戦死するまでに書かれたはがきのうち、142通が残る。現物の画像とともに、現代仮名遣いの読み下し文も添付。神戸で暮らす家族を案じ、心の支えにしていた父親の心情が伝わってくる。(森 信弘)

【写真】小田桐正一さん

 父正一(まさかず)さんは陸軍の下級将校。日米開戦前の41年9月ごろ東南アジア方面へ向かい、終戦間近にビルマ(ミャンマー)で戦死した。36歳だった。

 一良さんは戦後70年を機に、母が残した正一さんの軍事郵便を読み進めた。「これも戦争の記録の一つ」と公開することを決意。2016年3月、インターネットにサイト「戦地からの便り」を立ち上げた。

 正一さんは出征直前に1通目を送り、2通目を送った1941年10月にはフランス領インドシナ(現ベトナム)へ。便りには駐屯地の様子のほか、住民らの生活がつづられ、時にはパゴダ(仏塔)や現地の少女を描いた絵はがきも届いた。

 父が出征したのは、一良さんが5歳、妹敏子さんが2歳のころ。2人に宛てた内容は、読めるようにカタカナで書かれてあった。


 「ボクノオタンジヨウビデスネ。ゲンキデ、トシ子チヤントナカヨクシテヰマスカ」(時期不詳)


 「ボクモ一年生ニナツテ、シツカリベンキヨウシテヰマスネ。オ正月ノシヤシンヲ見マシタガ、敏子チヤンモ、ナカナカゲンキ…」(43年6月)


 ビルマで日本軍は連合軍に厳しい戦いを強いられていたが「現地での苦労などについてはあまり書けなかったのでは」と一良さん。「(山道で)息が切れる思い」などの短い一節からはその一端がうかがえる。

 敗戦が濃厚となった44年10月末に続けて送られた4通では、空襲から身を守る防空壕(ごう)の造り方を説明。被害を避けるため直線でなくジグザグに掘ることなどを教えた。最後の便りは45年2月、雨期にマッチが使えなくなるためライターの石を送るよう頼む内容。日本に着くまで半年を要し、届いたのは終戦2日前だった。

 一良さんは「あらためて読むと、家族のことを思ってせっせと書いてくれていたんだなと思う。一人の庶民の記録として、こういう人がいたことを知ってもらえたら」と話す。

 サイトは「小田桐正一の戦地からの便り」。

最終更新:5/18(木) 10:40

神戸新聞NEXT