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【夢を追う】元C-C-Bドラマー・笠浩二さん(3)病に倒れ阿蘇へ

産経新聞 5/18(木) 7:55配信

 《バンド「C-C-B」解散後はソロで音楽活動を続けた》

 東京・青山のマンションを拠点に、音楽に加え、プロデュース業や得意のコンピューター関係の仕事も手がけた。曲を作り、コンピューターに打ち込んだり、専門学校で教えたりもした。生きていくのに必死だったんです。

 ですが、不規則な生活とストレスで体調を崩しました。小さい頃からぜんそくの持病もありました。先行きが見えず、精神的にも不安が募るばかり。摂食障害などを発症し、脚気(かっけ)にもなりました。

 寝ていても硬直するようなガチガチな身体でドラムもたたけず、音楽活動は休止せざるをえなかった。30代後半でしたが、心身ともぼろぼろでした。

 《平成11年、熊本県南阿蘇村へ移住を決意した》

 南阿蘇村は祖父母が住んでいました。少年時代、両親と弟の家族4人で、東京から会いに行きました。南阿蘇鉄道が国鉄高森線だった頃です。始発の立野駅から蒸気機関車に乗ったのを今も鮮明に覚えています。野菜も新鮮でおいしかった。祖父母は一度、テレビ番組の収録にトマトを持って来てくれたこともありました。

 僕が脚気で倒れたのを知った父は、「お前も阿蘇に住め」と、トラックを借りて東京に迎えに来たんです。「脚気は戦時中になった人が多いんだぞ」と教えてくれ、荷物を全部運んでくれました。

 阿蘇へ帰ってから2年ほど、のんびり過ごしました。おじや両親が農業を営んでいたので、トマトやイチゴ、米の収穫作業を手伝いました。

 最初は寂しさや不便さも感じましたが、徐々に身体も回復し、精神的にも楽になった。手足が動くようになった。阿蘇の大自然、優しい人々に癒やされたのでしょう。

 《音楽活動を再開した。第一歩は地元の祭りだった》

 地元の人にイベントや祭りで「歌ってほしい」とリクエストされたんです。最初は趣味のつもりでした。

 でも、ドラムを教えたのをきっかけに仲良くなった阿蘇市の建設会社の社長が「ドラムを買ってやるから、もう一度ドラマーとしてやり直さんか?」と背中を押してくれた。この方は、熊本の民放テレビ局まで連れて行ってくれた。

 成果はすぐに出ました。夕方ニュース番組のコメンテーターやリポーターの仕事をもらった。

 ドラマーとしての本格復帰は、佐賀を拠点に活動するバンド「SPIRITS」への参加です。東京のミュージシャンを招いて、コラボライブで仲間の輪も広がった。音楽活動を、両親やおじも応援してくれた。

 《地元への恩返しを考えるようになった》

 阿蘇山が怒ると怖いけれど、阿蘇は自然や四季の移ろいが豊かな素晴らしい場所です。祖父母、両親の故郷であり、東京帰りの僕も優しく迎えてくれた。好きな音楽を続けることができるようになった。土地も人も好きで、心から感謝しています。

 でも、人口減少は深刻です。昨年春には、村内に3つあった中学校が統合され、唯一の中学校として、南阿蘇中学が創立しました。

 この中学校の校歌制作を依頼されました。うれしかったですね。作詞は阿蘇の友人に頼み、曲を作りました。

 《平成28年4月8日、南阿蘇中学の開校式で校歌がお披露目された》

 中学のブラスバンド部と一緒に僕がドラムをたたき、生徒と一緒に歌いました。北九州生まれの東京育ち。そんな僕が阿蘇の一員に本当になれた気がしました。地元に恩返しできてよかったと思う。

 その6日後、熊本地震が起きました。

 南阿蘇村は大きな土砂崩れや家屋倒壊などで多くの犠牲者が出た。亡くなった方がいると聞かされたときは、本当にショックでした。僕と生徒が校歌を披露した体育館は避難所になった。

 地震で村が、世話になった人が甚大な被害を受けた。「何かできることはないか」と考えるようになりました。

最終更新:5/18(木) 7:55

産経新聞