ここから本文です

市民が守った“地域財産” 加曽利貝塚特別史跡へ 千葉市

5/18(木) 14:40配信

千葉日報オンライン

 千葉市に残る縄文時代の遺跡が“国の宝”になる可能性が高まっている。日本最大級の貝塚で、縄文のムラの様子を今に伝える国史跡「加曽利貝塚」(千葉市若葉区桜木)。発掘成果から市は「縄文文化を解明する上で極めて貴重な遺跡」として、同貝塚を国宝に相当する「特別史跡」に格上げするよう国へ申請した。本年度中に千葉県内で初めて指定される見通しだ。

 加曽利貝塚は広さ約15万平方メートル。貝塚に集落が伴う「ムラ貝塚」遺跡で、5千年前から3千年前にかけ縄文時代の人々の生活の場だった。

 時期が異なる二つの貝塚が連結して、8字形をしていることが特徴。直径140メートルのドーナツ形をした北貝塚(縄文中期)と、長径190メートルの馬てい(馬のひづめ)形をした南貝塚(同後期)からなる。

 貝殻のほか魚類やほ乳類、100軒以上の竪穴住居跡や土器などの生活用品、埋葬された人骨や犬の骨などが多数出土。縄文人がこの地に定住して一大集落を築き、豊かな生活を送っていた様子がうかがえる。市文化財課によると、同時代に形成された集落が、2千年にわたり同じ場所で継続された例は他にないという。

 広大な貝塚遺跡は、市民によって今日まで守られてきた。周辺に宅地開発の波が押し寄せた1960年代、破壊の危機に直面した貝塚を守ろうと、市民団体が立ち上がった。貝塚を「地域の財産」として訴えた保存運動は国会でも取り上げられ、貝塚の学術的価値が広く認識される契機になった。71年に北貝塚が、77年に南貝塚が国史跡に指定され、開発を免れた。

 貝塚一帯は現在「加曽利貝塚公園」として、保存・整備されている。貝塚の東側には縄文人が船で行き来する重要な航路だったとされる坂月川が流れ、周辺の里山は「縄文の森特別緑地保全地区」に指定され、縄文時代をしのぶ景観をとどめている。

 市は今後、公園内にある博物館を移転して縄文景観の再生に努め、さらなる発掘調査などを通して同貝塚の活用、価値の向上を図る。

 発掘は遺跡全体のわずか7%しか行われていない。地中には祖先が生きた“証し”が今も数多く眠っており、同貝塚は縄文人が残してくれた過去と現在をつなぐタイムカプセルだ。