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【語り部の言の葉】(2)震災の記憶と教訓、歌で後世に

産経新聞 5/19(金) 7:55配信

 □岩手「釜石あの日あの時甚句つたえ隊」 北村弘子さん(65)、藤原マチ子さん(64)

 ◆祈り編

 東日本大震災で夫を失った女性の思いを相撲甚句の節に乗せて歌います。藤原の実家が相撲一家で小さい頃から甚句に慣れ親しんでいました。震災の教訓は甚句で歌うことが最も表現できるスタイルだと思い、この形を取りました。言葉は廃れますが、歌は後世に残ります。

  

 あの日あの時

 甚句に詠めばよ

  

 あの日も同じ朝でした

 いつもの笑顔を見送って

 夕べに戻ると待ち続け

 未(いま)だに私は待ちぼうけ

  

 せめて爪のひとかけら

 せめて髪の毛 一本と

 占い人にも尋ねたが

 貴方(あなた)は未だに帰らない

  

 あなたの笑顔が恋しくて

 あなたの声が聞きたくて

 せめて夢でも会いたいと

 毎日写真に祈ります

  

 来年退職したならば

 二人で温泉行こうねと

 あの時話した約束は

 今は叶(かな)わぬ夢なのか

  

 たとえ空の彼方(かなた)でも

 たとえ海の彼方でも

  

 貴方が側(そば)にいる事を

 二年の月日で知りました

 貴方は私の中にいる

  

 又(また)会うその時その日まで

 あなたに守られ私は生きる

                   ◇

 ◆兄貴編

 藤原は7つ上の兄を失いました。アマチュア相撲の名力士だったそうです。家族の安否を確かめる過程で津波に巻き込まれました。優しくて尊敬できる人でした。甚句は9編あり、「兄貴編」はその中でも原点です。

  

 兄貴を偲(しの)んで甚句に詠めば

 あの日兄貴は大槌で

 家族の安否を見定めて

 ホッと一息ついた後

 いきなり津波が押し寄せて

 六十五年の人生を

 息子と共に幕を引く

  

 相撲一家の三男で

 生まれもっての相撲取り

 小兵ながらも機敏さと

 技と力で勝負して

 自分の相撲を取ってきた

 一に仕事で

 二に相撲

 相撲 相撲で明け暮れて

 馬鹿(ばか)がつく程(ほど)相撲好き

  

 まわし一つで掛け渡り

 現役引退その後は

 大槌相撲協会の

 会長 会長と慕われて

 兄妹(きょうだい)自慢の兄でした

  

 思い出一つを語るなら

 大会ひかえた稽古場は

 畑に作った土俵上

 夜中の稽古は家の中

 畳 障子は破れても

 笑って繕うおふくろよ

  

 親父(おやじ)が作ったちゃんこ鍋

 相撲甚句はおふくろよ

 幼い頃から聞かされて

 知らずと覚えた節回し

  

 兄貴が津波でさらわれて

 一度はつぐんだ甚句だが

 遠くに聞こえる兄の声

 妹 歌えと兄の声

  

 相撲取りならこの唄(うた)と

 一緒に唄ったあの頃を

 思い出しては涙して

  

 下手なながらも妹が

 兄貴の声に引かされて

 唄いましたるこの甚句

 天に届けと兄貴の甚句

                   ◇

 ◆東中 鵜の小編

 釜石市の小中学校の児童生徒の生存率は99・8%で「釜石の奇跡」と言われました。東中と鵜の小(鵜住居小)が典型例で中学生が先に高台に逃げ、小学生が後を追い、基本的に全員無事でした。肉親にも構わず各自てんでんばらばらに避難する「てんでんこ」、自らが先頭を切って逃げる「率先避難者たれ」の教えが日常的に浸透していたからだと思います。

  

 時は三月十一日の

 忘れもしない大震災

 千年一度の大震災

 誰が思うかあの津波

  

 名所根浜の海岸を

 背にして建ったる学校は

 あの日津波で襲われて

 今は姿は見えずとも

 東中学 鵜の小よ

  

 生徒 児童の六百人

 手に手をとって高台へ

  

 早く早くと声を掛け

 我(われ)に続けと皆を呼び

 生きろ生きろと叫ぶ声

 最善尽くして避難して

 命を守りし子供達(たち)

  

 他人(ひと)は奇跡と言うけれど

 日頃の教訓 心得よ

  

 一つ想定とらわれず

 二つ最善尽くす事

 三つは率先避難せよ

  

 親は子供を信じつつ

 子供は親を信じつつ

 自分の命を守る事

 そこに生まれしこの言葉

  

 命てんでんこ

  

 守り守られ生き抜いて

 命が命を紡ぎ出す

 未来を作る子供達

 褒めてやりたや希望の子等(ら)よ

                   ◇

 ◆感謝編

 自衛隊、警察、市町村、海外、ボランティアの皆さんの支援がなければ私たちは立ち直れませんでした。

 母と妹を亡くした小学5年の男の子が「遺体に掛けるシートも毛布もない中、自衛隊のお兄ちゃんが上着を脱いで掛けてくれました」という作文を残しています。感謝の一言です。

  

 あの日あの時 知りました

  

 一人ぽっちじゃ辛(つら)すぎる

 一人ぽっちじゃ耐えられぬ

 一人ぽっちじゃ生きられぬ

  

 明日が見えないその時に

  

 一人じゃないよと声を掛け

 一緒にいるよと手を握り

 ぬくもりくれた優しさに

 心の底からありがとう

  

 お国訛(なま)りが違っても

 支え続けてくれた人

  

 守り守られ 耐え抜いて

 だからあの日を生き抜いた

 だから明日を生きられる

  

 どんなに離れて居(い)ようとも

 どれだけ月日が経(た)とうとも

 忘れはしません ありがとう

  

 何年先になろうとも

 必ず復興なしとげて

 生まれ変わった釜石を

 見に来てください 今一度

  

 嬉(うれ)し涙の再会で

 笑顔で会えたその時に

 言わせて下(くだ)さい お陰(かげ)様(さま)

  

 本当に本当にありがとう

最終更新:5/19(金) 7:55

産経新聞