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「弟を忘れない」千羽鶴に思い 磐田で空襲体験の久米さん

@S[アットエス] by 静岡新聞SBS 5/20(土) 8:00配信

 太平洋戦争末期の1945年5月19日、米軍による磐田市の旧見付国民学校(現・磐田北小)付近の空襲で、弟2人を亡くした同市見付の久米みどりさん(85)が19日、犠牲者を追悼する千羽鶴を磐田北小近くで開かれた慰霊祭で慰霊碑に供えた。自身も高齢となった今、「犠牲者を絶対に忘れないという気持ちの証しにしてほしい」との思いと、亡き弟たちへの愛を鶴に託した。

 当時13歳だった久米さんは自宅近くで農作業を手伝っていた。空襲警報が響き、防空壕(ごう)へ避難。爆撃が静まった頃、父親が「子どもたちがやられた」と知らせに来た。弟の鈴木進さん=当時(11)=と文男さん=当時(9)=を捜しに、母親とともに遺体収容所に駆け付けた。

 並んだ遺体に覆い掛けられたむしろを1枚ずつめくっていくと、変わり果てた文男さんを見つけた。顔には爆弾の破片が突き刺さっていた。「何がどうなったのか分からなくて、まるで地獄にいるようだった。何度も弟の名前を呼び、泣き続けた」。進さんは遺体はおろか遺品さえ何一つ見つからなかった。

 空襲から72年間、弟たちを思い出さなかった日はない。同校近くの慰霊碑の前を通るたびに足を止め、頭をなでるように碑に刻まれた弟たちの名前を指でなぞるという。

 「戦争という言葉を聞くだけでいまだに鳥肌が立つ」という久米さん。「今の子どもたちには家族を大切に、平和に過ごしてもらいたい」と強く願う。



 ■平和への誓い 児童ら新たに 北小などで行事

 72年前の空襲で児童生徒が犠牲になった磐田市では19日、市立磐田北小近くや県立磐田農高で慰霊の行事が行われた。

 磐田北小では避難中の児童と教員計29人が亡くなった。6年の島沢舞さん(11)は「平和の大切さを自分たちが語り継いでいきたい」と決意を述べた。

 生徒5人が犠牲になった磐田農高では、代表生徒と空襲を経験した卒業生が校内の慰霊碑に花を手向けた。

静岡新聞社

最終更新:5/20(土) 8:00

@S[アットエス] by 静岡新聞SBS