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【あの時・竹原慎二奇跡の勝利】(3)ドン・キングに無断で交渉

スポーツ報知 5/20(土) 14:02配信

 95年の10月上旬。明け方だった。東京・板橋区内の沖ジムで、固定電話がけたたましい音を上げ、静寂をかき消した。電子音が響き1枚、2枚とファクスが流れ出る。マネジャーの神浦祐子が震える手で紙を取る。差出人はWBA世界ミドル級王者ホルヘ・カストロの専属マネジャー。竹原との世界戦を承諾する契約書だった。

 「不可能」といわれた世界戦は難航の末、3年越しで実現した。93年5月に竹原が16戦無敗で東洋太平洋王座を獲得するとオーナーの沖徳一が口火を切った。「竹原は世界チャンピオンになれるか」。沖の問いにジムの会長、宮下政が即答した。「絶対、なれます」。協栄ジムの協力を得て交渉に乗り出す。しかし、待てど暮らせど返事はなかった。

 オーナーの沖は内装仕上げ工事の会社を経営する傍らジムを創設。私財をなげうち世界戦実現に尽力した情熱の人だった。94年8月にカストロが王座決定戦で新王者になると翌95年夏に沖自らが指揮を執り、神浦ら会社の社員を動員し交渉に動いた。相手はカストロとプロモート契約を結ぶ世界的プロモーターのドン・キング。世界統一ヘビー級王者マイク・タイソンを抱えていた大物だった。交渉を担当した神浦が明かす。「当時はドン・キングと交渉していたと思われていましたが、実は彼には無断でカストロの専属マネジャーとで交渉を進めて決めた世界戦だったんです」

 数多くいるキング配下のマネジャーの一人は時差12時間、日本の真裏のアルゼンチンにいた。連絡先を入手し、いきなり国際電話をかけた。当然のごとく門前払いにされた。神浦に沖が言った。「契約を取るためのあらゆる方法を考えろ」。考えた末に「右も左も分からない素人にはこれしかないと、しつこく電話してファクスを送りまくった」。

 沖は交渉前に想定問答作り、神浦に練習をさせた。多い日は1日3回、機嫌を損なわないように相手方の夕方、日本の明け方に受話器を取った。敬意を示し会話を重ねていくうち、とりつく島もなかった相手が「どうせ負けっこない」と次第に軟化した。沖の商売人のカンが働く。神浦に「いまだ」と指示した。

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最終更新:5/20(土) 14:02

スポーツ報知