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【あの時・竹原慎二奇跡の勝利】(1)世界奪取後に入院「死ぬかと…」

スポーツ報知 5/20(土) 14:02配信

■95年12月19日

 22年前の1995年12月19日。当時23歳の竹原慎二(沖ジム)が、ボクシング史に輝く日本人最重量級での世界タイトル奪取に成功した。日本人として初めてWBA世界ミドル級王座に挑戦。5度目の防衛戦だった王者ホルヘ・カストロ(アルゼンチン)から3回に左ボディーブローでダウンを奪うなど圧倒し、3―0の判定勝ちで最激戦階級を制した。「不可能」と言われた下馬評を覆す「奇跡の勝利」。当時は明かされなかった舞台裏に迫った。

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 95年の年の瀬だった。栄光の世界奪取を果たした竹原は、都内の病院のベッドにいた。12月19日に後楽園ホールで日本ボクシング史を塗り替えた激戦から数日後のことだった。22年が過ぎ、45歳になった竹原が当時の「それから」を明かした。

 「あまり公表していないんですけど、実はカストロ戦後、クリスマス明けぐらいから2週間入院したんですよ。試合の後、頭が割れそうなほど痛くて。生死をさまよったわけじゃないんですけど、死ぬかと思うぐらいひどかった」。リングでは一度も倒れなかったが、想像を絶するダメージを負った。「ボクシングやって初めての経験でしたよ。それほど重いパンチをもらっていたんです」

 歴史が動いた瞬間の感触は、いまだ竹原の左拳に残っている。3回開始25秒。まばたきも許されない攻防だった。両者相打ちの左フックから竹原が右アッパーを繰り出した。上体をそらし、よけた王者がすかさず右を出す。直後、竹原が左に素早く動き、すさまじい一撃で王者の右脇腹をえぐった。会心の左ボディーブローだった。10オンスのグラブを通して素手にまでズシリと伝わる「レバー(肝臓)」への手応え。被弾直後は踏ん張った王者だが、コーナーまで後退するとたまらず両手をつけて膝を折った。過去104戦でKO負けもダウンもしたことがないタフな王者を四つんばいにさせた。

 23勝(18KO)無敗で初めて挑んだ世界戦。28歳の王者は98勝(68KO)4敗2分けの戦績で世界戦経験は6度目。戦前の下馬評で竹原の勝ちは「2―8」と低く予想され「無謀な挑戦」「負け戦」などと言われた。「不可能なんかない。それを証明したかった」

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最終更新:5/20(土) 14:20

スポーツ報知