ここから本文です

《ブラジル》特別寄稿「ベストセラー作家・千葉勇の祖父の地の謎=家伝刻む石碑にあり得ない記述=宮村秀光氏訪日で判明

5/20(土) 6:30配信

ニッケイ新聞

 ブラジル日系文学アカデミーの会長でこの度の団長宮村秀光氏とは、日本・ブラジル歴史の勉強調査などで協力し合ってきている仲です。彼が訪日旅行する機会に宮城県石巻市、登米(とめ)市を訪問する計画を依頼され、県人会から宮城県庁、石巻市役所、登米市役所に受け入れを要請しました。
 石巻市では、日本人初南米上陸の石巻若宮丸関係の史跡を巡り、東日本大震災の被害地を視察しました。松島では観光と伊達政宗資料館などを訪れました。
 登米市訪問の目的は、ブラジル日系作家アカデミーの発案者であります千葉勇氏(イサミ、Dr. Icami Tiba)の父・勇喜氏の生地を訪問することでありました。
 千葉勇は説明するまでもなく、40冊に及ぶ著作と80万部のベストセラー「Quem ama educa」の著者であり、数カ国に翻訳されており、ブラジルの教育論者として一人者でありました。
 さて、宮村団長からメールが入り、一行は3月27日に登米市東和町の千葉家を訪れた折のことをしり、驚きました。思いもよらぬ石碑に出会ったというのです。
 それは1689年5月に松尾芭蕉が宿泊した記念の石碑であります。前もって知らされていなかったので団員一同感銘を受けました。建立したのは勇喜の兄仙蔵氏(共にブラジル移民)が訪日の折に建てたもの。
 登米は石巻から平泉への道中の中間地点で、「千葉家を宿とした」とのことです。
 そうすると、松尾芭蕉は石巻から北上川の西側を北上し、登米で一泊、次の日に登米から数キロ北上して、北上川を渡って2キロほど程の東和町字大沢長円田の千葉家に着いたことになります。
 そこから平泉へのルートを予想してみる。北上すると岩手県の東磐井郡に入る。(江戸時代は一ノ関、平泉も含めて、岩手県南部は仙台藩でありました)。この地方は私の親戚が多いので、その予想路を記して登米市役所に調査を依頼しました。

▼幕末の千葉周作も一族、文武両道の家系

 千葉家は、父・林乃助、長男・忠見と4人兄弟を含め、14人が1931年から1939年まで3回の移民船で移民しており、石碑を建てたのは次男の仙蔵でした。3男が勇の父勇喜です。
 勇喜は事業に成功しました。勉強家で60歳にて法科大学を卒業し、これから、僧呂を目差し、仏門の修練に訪日する直前の71歳で亡くなりました。
 母きくえは書道の大家で、日本の書道展で入賞するほどの腕でした。松尾芭蕉が宿泊したことを考えると、千葉家は文化的な地方の名家であったことが推察されます。
 千葉一族は伊達政宗公以前に、宮城県東部、岩手県南東部を治めていた葛西氏の臣下で、幕末の千葉周作も其の一族です。
 千葉周作は剣術から剣道への道を開いた師範として有名ですが、勇はブラジル学生柔道選手権で優勝した文武両面で優れた人物でした。仙台藩の登米地方の歴史と風土がブラジルのIcami Tibaを出現させたのではないかと思います。
 登米市役所からの返事を期待に胸をふくらませて待っていたら、「東和町の信頼できる郷土史家から聞いたが千葉家に泊った資料がない」と予期せぬ返事が伝えられました。
 この石碑は1982年に建立されています。地元郷土史家が認めない石碑が35年も立っています。そして市役所の職員がわざわざご案内して下さりました。何故かと分からなくなりました。

1/2ページ

最終更新:5/20(土) 6:30
ニッケイ新聞