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数百万円の違約金、土下座…それでもルビー・モレノを許し続けた稲川素子氏の半生

5/20(土) 11:00配信

AbemaTIMES

 多くの外国人タレントを抱え、スターを輩出し続けている稲川素子事務所。芸能界ではその名を知らぬものはいない有名事務所だ。

 創業者は稲川素子、83歳。142カ国、5000人以上の外国人タレントは、自ら駆け回って集めた、稲川の“財産“だ。日本アカデミー賞の受賞歴を持つ女優・ルビー・モレノも、稲川に育てられたタレントの一人だ。ルビー・モレノはこう語る。「素子さんは日本の母だ」と。

 もともとは専業主婦だった稲川が、なぜタレント事務所を設立、芸能界に飛び込むことになったのか。そこに至るまでには数奇な運命があった。

お人好しな性格が生んだ稲川素子事務所

 昭和9年生まれの稲川は戦争体験者だ。疎開先の福岡では、長崎に落とされた原爆のキノコ雲を目撃した。病弱だった稲川は、終戦後も極度の貧血で入退院を繰り返し、慶大に入学するも中退を余儀なくされた。

 22歳で結婚、専業主婦になった稲川は、娘の佳奈子にピアノを習わせ、世界的なピアニストに育て上げた。そのことがきっかけで芸能の世界とつながりを持つことになる。

 そして50歳の時、大きな転機が訪れる。あるドラマに佳奈子がピアニストとして出演することになり、撮影現場に足を運んだ稲川。そこで偶然、ディレクターの「フランス人の香水の専門家・調合士の役が見つからないんだよな…」という言葉を耳にする。

 知り合いのフランス人に香水の専門家がいる旨を告げたところ、すぐさま「紹介してほしい」との依頼を受けた。しかし、連絡をとったところ、すでに帰国した後だった。

 「でも『もう帰っちゃいました』とは言えなくて…。自分で探さねばと思い」。

 稲川は究極のお人好しなのだ。フランス語学校の日仏学院に電話を、なんとか俳優経験のあるフランス人を探し出し、撮影現場の京都・太秦まで連れて行った。もちろん稲川自身が通訳をしなければならない。稲川が「マネジャー」になった日だった。

 そこからはあっという間だった。「“クチコミュニケーション“はすごくて、そこからどんどん広がっていったんです」。

 “稲川さんに言えばたくさんの外国人を連れてきてくれる“、そんな評判がテレビ業界に広がっていった。親切心で始めたこととして、自身は無報酬で外国人のアサインを2年間こなしていた。「移動費も自分持ちでねぇ。通訳までして、それで遅刻したら怒られて…」と穏やかな口調で振り返る。

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最終更新:5/20(土) 11:00
AbemaTIMES