ここから本文です

故・団藤重光さんを死刑廃止論者に変えた発言の主が新証言「人殺しとは言っていない」

5/21(日) 9:18配信

弁護士ドットコム

現在の刑事訴訟法の立案に中心的な役割を果たした法学者で、最高裁の判事も務めた団藤重光さん(享年98)が2012年6月に逝去してからもうすぐ5年。晩年は死刑廃止運動に力を注いだことでも知られる団藤さんだが、死刑廃止論者になったきっかけは最高裁時代、ある死刑事件の判決公判で傍聴席から「人殺し」という罵声を浴びた痛切な経験だと伝えられてきた。その発言の主である男性がこのほど「新事実」を明かした――。(ルポライター・片岡健)

●「人殺し」との罵声で死刑廃止論者になったとされてきたが・・・

〈われわれが退廷する時に、傍聴席にいた被告人の家族とおぼしき人たちから「人殺しっ」という罵声を背後から浴びせかけられました。その声は今でも耳の底に焼き付いたように残っていて忘れることができません。〉

これは団藤さんが1991年に上梓した著書「死刑廃止論」の一節(〈〉内は引用。以下同じ)。最高裁時代、陪席裁判官の1人として担当した〈ある田舎町で起こった毒殺事件〉の上告審判決公判での経験を綴ったものだ。団藤さんは生前、被告人の名前などは明かさなかったが、これは「波崎事件」と呼ばれる事件の富山常喜元死刑囚(2003年に獄死。享年86)が1976年4月、最高裁で上告棄却の判決を宣告された際の出来事だというのは公然の事実となっている。

富山元死刑囚は、1963年8月に茨城県波崎町(現在は神栖市)で知人の男性を保険金目的で毒殺したとして殺人などの罪に問われ、一、二審共に死刑を宣告されていたが、捜査段階から一貫して無実を訴えていた。一、二審の有罪認定に〈絶対に間違いがないかというと、一抹の不安が拭い切れない〉と思っていた団藤さんは、この出来事をきっかけに強い死刑廃止の気持ちを持ったという。これは本人が生前、講演や取材で語っていたことなのだが――。

「僕はあの時、『人殺し』とは言っていないんですよ」

そう明かすのは、〈罵声〉を浴びせた張本人である篠原道夫さん(87)。富山元死刑囚を救援するために「波崎事件対策連絡会議」という団体をつくった男性だ。篠原さんは元々、別の有名冤罪事件の支援をしていたが、その活動を通じて知り合った富山元死刑囚の弟から話を聞き、富山元死刑囚が冤罪だと確信。最高裁の判決公判は富山元死刑囚の家族と一緒に傍聴していたという。

●団藤さんが自宅に不在で実現しなかった対面

「その場で怒りが爆発し、何か言わずにおれなかったんですが、僕は『無実の人間を死刑にするのか』という極めて理性的な言い方をしたんです。ただ、僕の声は大きいから、団藤さんには『人殺し』と聞こえたのかもしれないですね」

篠原さんは今から31年前、最高裁で叫んだ日のことをそう振り返る。これが事実なら、団藤さんが死刑廃止論者になったきっかけとして語ってきたことは本人の勘違いだったことになる。もっとも、篠原さんの発した言葉が実際は何であったとしても、団藤さんが「人殺し」と言われたに等しい衝撃を受けたことに変わりはないだろう。

団藤さんは当時から有名な人だったが、篠原さんは当時、団藤さんのことを知らなかった。しかし後年、団藤さんが自分の発言をきっかけに死刑廃止論者になったと話しているというのを人づてに聞いた。そこで本人に会ってみようと、自宅に電話したこともあったという。

「その時は奥さんが電話に出て、団藤さんは用事があって家にいないということでした。僕は『波崎事件の救援活動をしている篠原といいます』と名乗りましたが、奥さんは驚いたりはしなかったです。そう言われても、何のことかわかんなかったのかもしれないですね」

こうして結局、団藤さんとの対面は実現しなかったが、そもそも、篠原さんが団藤さんと会おうとした目的は何だったのか?

「『死刑執行は困る』と言おうと思ったんです(笑)。死刑の執行は(裁判所ではなく)法務省のほうでやることだというのは知っていますが、団藤さんは『あの有罪はおかしい』と言っていたと聞きましたから」

2人が対話をしていたら、当然、富山元死刑囚の上告審判決公判で篠原さんが叫んだことにも話が及んでいただろう。そうなっていれば、刑訴法の「生みの親」とも言われる法学者が死刑廃止論者になったきっかけとされる有名なエピソードは事実関係が一部修正されていたかもしれない。

●3度目の再審請求のために活動中

一方、富山元死刑囚は死刑確定後、2度の再審請求も実らず、逮捕から40年近くを獄中で過ごした末に2003年9月、東京拘置所で病死した。死の間際は目もほとんど見えなくなり、面会室まで足を運ぶこともできない状態で、篠原さんはいつも拘置所内の病棟でベッドに寝たきり状態の富山元死刑囚と面会していたという。

「富山さんはシベリア帰りで精神力の強い人でした。でも、最後のほうは僕が何も言っても、『うん』とか『ふーん』としか言えなくなっていましたね」

まさに無念の獄死を遂げた富山元死刑囚。ただ、篠原さんから団藤さんが自分の裁判をきっかけに死刑廃止論者に変わったことを告げられた際には、「とくに怒ったりはせず、『そうですか』とニコニコしていた」という。団藤さんもこの話を聞いていれば、少しは罪悪感が和らいだかもしれない。

篠原さんは現在も「波崎事件対策連絡会議」のメンバーたちと一緒に再審で富山さんの無罪判決を勝ちとるすべを模索しているが、そのためには遺族に再審請求人になってもらう必要がある。現在は再審請求人になってくれる遺族が見つからず、苦戦しているそうだが、「なんとか協力してもらい、3度目の再審請求をしたいと思っています」。柔和な表情で、そう語る篠原さん。6月9日で88歳になるが、今も現役で働いており、まだまだ元気だ。

【波崎事件】1963年8月、茨城県波崎町で36歳の男性が死亡保険金目的で青酸カリにより殺害されたとされる事件。殺人などの罪に問われた富山元死刑囚は一貫して無実を訴えたが、水戸地裁土浦支部は1966年12月、「被告人の自白はなく、毒物を飲ませるところを見聞した証人もなく、又毒物の入手先も、処分方法も不明ではある」と証拠の乏しさを認めつつ、「絶対に証拠を残さない、所謂完全犯罪を試みんとしたものと見るべき」として死刑を宣告。富山元死刑囚は控訴、上告も実らずに死刑確定し、2003年に獄死した。団藤さんが最高裁時代に担当した上告審の判決は裁判所のHPに掲載されている(URLは以下)。http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=59873

【プロフィール】片岡健:1971年生まれ。大学卒業後、フリーのライターに。全国各地で新旧様々な事件を取材している。編著に「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(鹿砦社)。広島市在住。

弁護士ドットコムニュース編集部