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ニッキー・ヘイデン:1981-2017

5/23(火) 10:05配信

motorsport.com 日本版

 2006年のMotoGPチャンピオンであるニッキー・ヘイデンが亡くなった。35歳だった。

【写真】2006年のMotoGP王者に輝いた、ニッキー・ヘイデン

 ニッキー・ヘイデンにとって、バイクに乗ってレースをすることは、生涯にわたる情熱だった。彼は1981年にアメリカ・ケンタッキー州のオーエンズボロで、アール・ヘイデンとローズ・ヘイデンの間に生まれた。ふたりはダートトラックのライダーで、ヘイデンも3歳になる頃までにはバイクに乗っていた。彼は5歳の時、ふたりの兄であるトミーとロジャー・リーと共に、ヘイデン家が所有する手作りのコースで、レースを始めた。

 ヘイデンはすぐにミニバイクのレースを始め、そして彼がAMA(アメリカモーターサイクル協会)のドアを叩くまで、クラブレースの世界を歩み続けていった。彼は1997年、16歳でプロのライダーとなることを決め、AMA750と600スーパースポーツクラスで、サテライトチームのバイクを走らせた。

 翌年、スズキのサテライトチームに移籍したヘイデンは、両方のカテゴリーでの初優勝を果たした。これにより、1999年にはホンダのファクトリー契約として、トップサテライトチームであるErionに加入。AMA600スーパースポーツクラスで、史上最年少のチャンピオンとなった。そして2000年にはAMAスーパーバイクに昇格し、ファクトリーチームのマシンを走らせた。

 その2000年は2位、2001年には3位になった後、ヘイデンは2002年に飛躍の年を迎えた。彼はAMAスーパーバイクの最年少チャンピオンになり、デイトナ200にも勝利。ラグナセカで行われた世界スーパーバイク選手権にもワイルドカード枠で参戦し、世界中のトップライダーたちと相対した。

 彼はその後、直接MotoGPに昇格。レプソル・ホンダに加入し、バレンティーノ・ロッシのチームメイトとなった。彼は2003年に2回の表彰台登壇を果たし、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。しかし2004年は鎖骨を骨折し、好成績を残せなかった。バレンティーノ・ロッシがヤマハに移籍したため、この年からチームメイトはアレックス・バロスに変わった。

 2005年、ヘイデンは強さを取り戻し、ラグナセカで行われたアメリカGPでMotoGP初優勝を果たした。この勝利は母国のファンを魅了し、後に映画にも使われた。

 2006年、ヘイデンは2勝を挙げた。彼の勝利数はロッシ(5勝)、ロリス・カピロッシ(3勝)、マルコ・メランドリ(3勝)らよりも少なかったが、最初の11戦で9回の表彰台を獲得するなど安定してポイントを稼ぎ、念願のワールドチャンピオンに輝いた。

 2007年から、MotoGPのバイクは800ccに切り替えられた。ヘイデンは、このバイクには適さず、ランキング8位に終わった。2008年にはインディアナポリスとフィリップアイランドで素晴らしいパフォーマンスを披露したことで6位に上がった。翌年、ヘイデンはドゥカティに移籍したが、ランキング13位となった。

 ドゥカティでの2年目となる2010年には、彼は先頭争いに近づいたように見えた。アラゴンで表彰台に乗るなどしたため、ランキング7位となった。2011年には再びロッシとチームメイトになり、ヘレスで表彰台を獲得しランキング8位となった。2012年は負傷によって2戦欠場しランキング9位。ドゥカティでの最終年である翌2013年は最高位5位にとどまり、2年連続でのランキング9位となった。

 2014年からはホンダのサテライトチームであるアスパーに移籍。その年の開幕戦カタールでの8位が、同チームに在籍した2年間で最高成績となった。2015年のもてぎで、ヘイデンは記者会見に出席。MotoGPへの参戦を終了し、ホンダと共に世界スーパーバイク選手権に参戦することを発表した。

 2016年の世界スーパーバイク選手権では、ヘイデンは再び勝利を手にすることになる。彼は雨に見舞われたマレーシアGPでトップチェッカーを受け、年間ランキングも5位となった。なおこの年のヘイデンは、アラゴンでジャック・ミラーの代役としてマルクVDSのマシンを走らせ、フィリップアイランドではダニ・ペドロサの代役としてレプソル・ホンダのマシンを走らせた。

 2017年のヘイデンは、MotoGPと世界スーパーバイク選手権の両方でチャンピオンになる初めてのライダーとなるべく、新型のCBR1000RRを走らせた。しかし、テストでの走行距離が不足し、スロースタートとなった。最初の5レースでの最高成績はタイでの7位で、その時点でのランキングは13位だった。

 常に危険と隣り合わせの2輪のモータースポーツに、参戦し続けてきたヘイデン。しかし最終的に彼の命を奪ったのは、サイクリング中の事故だった。ヘイデンはイモラで行われた世界スーパーバイク選手権のレースの後、イタリアでサイクリングをしていた際に自動車との接触事故に遭い、5月22日(月)にその生涯を閉じた。

 motorsport.comは、ヘイデンの家族、友人、そしてサポーターの皆様に、哀悼の意を表します。

Andrew van Leeuwen