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芦峅寺の閻魔様は鎌倉期作 県文化財「木造坐像」

5/23(火) 0:48配信

北日本新聞

■中世の立山信仰に迫る

 立山町芦峅寺の閻魔(えんま)堂に安置され、南北朝時代(1336~1392年)の作とされてきた県指定有形民俗文化財「木造閻魔王坐像」が、鎌倉時代(1185~1333年)に作られたとする説が有力になった。立山博物館の加藤基樹学芸員が史料などから推測し、上原仏教美術館(静岡県)で閻魔などの冥府(めいふ)像を研究する森田龍磨学芸員が像の特徴からこの説を裏付けた。現存する史料が少ない中世の立山信仰を知る糸口になりそうだ。(立山・上市支局長 谷井康彦)

 閻魔王像は寄せ木造りで、高さ約1・6メートル。3体の冥府像などと閻魔堂に安置されている。堂内にある木造うば尊坐像に南北朝時代の1375(永和元)年の表記があることから、当時の死者を裁く10人の王がいるという「十王思想」に基づき、閻魔王像や冥府像は十王の一部と理解されてきた。

 昨年、同館の25周年を記念した「立山×地獄展」で、加藤学芸員は冥府像をテーマに取り上げた。全国各地の像の特徴や「昔の古い堂は十王を安置できる大きさではなかった」とする芦峅寺住民の証言などから鎌倉時代に流行した5体の像からなる五尊形式だったと推測した。

 加藤学芸員は、荘園28カ所を記した1181(養和元)年の古文書に「立山外宮」と「彦山」(福岡県)の記述があるのを確認。「二つの社が都の鬼門、裏鬼門とすれば、国家鎮護、境界の守護として(芦峅寺の)閻魔五尊と堂が作られた」との説を示した。

 森田学芸員は昨年夏、加藤学芸員らと閻魔王像を調査。四角く面長気味な顔や冠帽(かんぼう)の表現、胴と腕の間に空間があるといった特徴が、鎌倉時代に作られた像と類似していると指摘した。

 閻魔王像は、国宝修理所(京都)が1997年から99年にかけて解体、修理した。森田学芸員は今年4月に報告書を読み込み、像内部の構造などから「鎌倉時代の作と考えられる」と結論付け、作者が仏師の一派「院派(いんぱ)」である可能性にも言及している。

 加藤学芸員は「立山の信仰の歴史を考える上で意義深い。さらに研究を進めたい」と話している。 

北日本新聞社

最終更新:5/23(火) 0:48
北日本新聞