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ハンセン病問題は終わっていない 愛生園・新良田教室で同窓会

5/24(水) 23:45配信

山陽新聞デジタル

 岡山県瀬戸内市・長島の国立ハンセン病療養所長島愛生園にあった岡山県立邑久高校新良田(にいらだ)教室。全国13の国立療養所で唯一の高校として若い入所者らが集まり、社会復帰を果たした卒業生は8割と、隔離政策が続いた時代に特異な輝きを放った。1987年の閉校から30年を迎え21、22の両日、教室跡地などで開かれた同窓会。年齢を重ねた同窓生たちは「これが“最後”」との思いをよぎらせながら青春時代を振り返る一方、差別、偏見を恐れ、当時の記憶を今も周囲に打ち明けられない現実を口にした。

 「こんなに狭かったかなあ」

 「文化祭やってトランペットを吹いたわ」

 長島の海岸近くにある新良田教室跡地。同窓生たちは運動場の隅に残るこぢんまりとした講堂に入ると、思い出を口々に語った。中央に卓球台が2台、舞台には太鼓などが置かれ、雰囲気は当時のままだ。

 同窓会は75年からほぼ4年に1回開催。高齢化で集まりにくくなる中、9年ぶりとなった今回は秋田県から沖縄県までの80~50代が72人参加、初日は岡山市での懇親会に臨み、最終日は愛生園で思い出に浸った。

 「図書室に本がいっぱいあって、ロシア文学とか読みあさっていたな」と1期生の男性(79)=東京。鹿児島県の奄美和光園から新良田教室へ進学。慶応大を経て信用金庫に就職した。

 「高校は社会に出るための窓。療養所で一生を終えたくないと、必死に勉強した」と思い返す。

 ■全てを壊す■

 園の反対を押し切って生徒だけで関西へ修学旅行をしたり、部活動では野球部が東日本の療養所へ遠征して大人のチームと対戦したり。新良田教室には当時、若い世代の患者・回復者たちが全国から集まり、高校生活は刺激に満ちていたという。

 その新良田教室は、53年の「らい予防法」改正を巡り、強制隔離の廃止を求めた入所者たちが国から勝ち取った希望の象徴でもあった。先輩たちの思いに報いようと、卒業生307人のうち約250人が医師や作家、商社などさまざまな職に就いた。

 一方で療養所での教育は生徒に「隔離される存在」だと強く意識させた。教師は白衣を着用し、職員室の前には消毒液が置かれた。職員室への自由な出入りは許されず、外からベルで教師を呼んだ。

 社会に出ても苦境は続いた。男性(74)=兵庫県芦屋市=は就職の際、最終学歴を「中学」とした。「何のために高校に行ったのか」と思うが、病歴を知られて結婚が破談になったり、就職が取りやめになったりした人がいる。公にできたのは国の隔離政策を断罪した2001年の熊本地裁判決以降だ。

 「偏見、差別は爆弾みたいなもの。家庭も仕事も人間関係も、築いてきたもの全てを壊す」と、同窓会に初めて参加したという関東地方の男性(75)は言う。これまでは「参加すると病歴が漏れ伝わる」と恐れていたといい、今も周囲には一切秘密にしている。

 ■名簿破棄も■

 同窓生は日程の最後に、校門近くにある「希望」と刻まれた石碑に集まった。閉校まで教師として勤めた男性(75)=岡山市中区=が、高校があった証しにと同窓生から約120万円を募って建てたことを説明した。

 同窓会事務局の宮良正吉さん(71)=大阪市=は「高校時代の仲間は今も生きる支えになっている」と確信するが、今回を最後に名簿を破棄するつもりだった。「外部に漏れては困る」との声も多いためだ。

 「ハンセン病問題は終わっていない。同窓生同士で励まし合いながら、誰もが高校時代を当たり前に語れるようにしないと」と話す宮良さん。2日間で存続の要望にも数多く触れ、今後は有志での開催を検討するという。