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ハワイ捕虜 身元判明 写真の県人2人 息子「ひと目で確信」

5/25(木) 10:29配信

琉球新報

 琉球新報が18日付で掲載した終戦前後に米ハワイ州の収容所に移送された県人捕虜の写真を巡り、23日までに写真に写っている元捕虜2人の身元が判明した。紙面で若かりし日の父・朝保さん(享年84)を見つけた宜野湾市我如古在住の山本勇さん(69)は「父は小柄で、なで肩だった。身体的特徴からもひと目で父と確信した」と述べ、72年前の写真に写し出された亡き父の姿を発見し、喜んだ。

 写真はハワイ州在住の県系2世、大城文江さん(90)が1945年ごろ、当時ホノルル市ワイパフ地区にあった自宅前の道路で撮影したもの。現地で撮影された写真はほとんど見つかっておらず、専門家からも当時の生活を読み解く貴重な資料写真であると期待が寄せられている。

 山本さんによると朝保さんは生前、ハワイでの捕虜生活を家族に語っていた。特に戦前に移住した地元我如古の知人から弁当を差し入れしてもらうなど、とても親切にされたという話が印象的だったと振り返った。2002年に家族でハワイを訪れた際、朝保さんは捕虜時代に建設に携わったトリプラー陸軍病院を視察し、当時の生活に思いを巡らせていたという。

 紙面に写る父を見詰め「生きているうちに、この写真を見せてあげたかった」という山本さん。今回の報道をきっかけに「あらためて子や孫に父がたどった足跡を伝承したい」と語った。

 與那原淳さん(78)=宜野湾市愛知=も紙面で父・清さん(享年45)の姿を発見し、「大変驚いた」と話す。

 当時40歳だった清さんは防衛隊に所属していたが、1945年6月ごろに糸満市摩文仁で米軍の捕虜となったことや、旧金武村の屋嘉収容所からハワイへ移送されたことなどを当時7歳だった與那原さんによく話し聞かせていたという。収容所での生活は「捕虜にしては自由もあり、屈辱的なものではなかった」と話していたという。

 與那原さんはハワイ県人捕虜については資料や歴史的史実が少ないとした上で「遺族が体験記を継承したり、遺族同士が交流したりすることで、一つでも多くの事実が解明されることに期待したい」と述べた。

(当銘千絵)

琉球新報社

最終更新:5/25(木) 10:29
琉球新報