ここから本文です

赤城乳業の名物部長が語る「ガリガリ君」秘話

5/25(木) 18:15配信

ITmedia ビジネスオンライン

 子供から大人まで、年齢層を問わず愛され続ける赤城乳業のアイスクリーム「ガリガリ君」――。1981年の発売以降、右肩上がりで販売本数を伸ばし続け、2013年には4億5000万本を突破した。定番の「ソーダ味」だけでなく、「コーンポタージュ味」「シチュー味」など、独創的な限定商品も人気となっている。

【これまでの仕事を振り返る萩原部長】

 そんなガリガリ君の商品開発やマーケティングを手掛けてきたのが、営業本部 マーケティング部の萩原史雄部長だ。萩原部長は94年に入社後、10年ほど営業の経験を積み、04年にマーケティング部へ異動。ガリガリ君のブランド戦略を担い、さまざまなフレーバーの新商品を開発したほか、小学館やバンダイなど他業種の企業と手を組んだ“コラボ企画”を次々と実現。売り上げ拡大の立役者となった。

 では、萩原部長は、ガリガリ君をどのようにして人気商品にまで育て上げたのだろうか――。ITmedia ビジネスオンライン編集部が主催する読者イベント「アクションリーダー学」で、萩原部長が13年にわたる取り組みの内容について語った。

●ガリガリ君は「コンビニと一緒に成長した商品」

ITmedia ビジネスオンライン編集部(以下「編集部」): ご登壇いただきありがとうございます。「ガリガリ君」は81年の発売で、萩原部長が幼い頃から世に出ていました。当時の印象はいかがでしたか?

萩原部長: 私は当時小学生で、グレープフルーツ味が安くておいしかったことを覚えています。今とは違って、ゴリラのようなイメージキャラクターを起用していたので、「変なアイスがあるな」とも思っていました(笑)

編集部: 萩原部長が入社してからマーケティング部に異動するまでの、ガリガリ君のイメージに関してはいかがでしょうか。

萩原部長: コンビニの成長と一緒にガリガリ君も育った印象です。コンビニの拡大のおかげで、売上本数は94年には6600万本にまで成長しました。

 その後、売り上げが落ち込む時期もあったようですが、2000年に「ガリガリ君のうた」を作ってCMで流したところ、年間1億本にまで伸びました。その後も順調に拡大し、私が異動した04年には、年間1億5000万本を売り上げる商品になっていました。

●まずはキャラクターを生かした話題作りから

編集部: 異動後は、どのような施策から始められたのですか?

萩原部長: マーケティング部への異動後は、ガリガリ君のキャラクターの価値を高めることに取り組みました。当時の雑誌や新聞が実施していた調査では、商品自体はコンビニで売れているアイスのランキング1位になっていた一方、キャラは「嫌いな企業キャラ」ランキングの4位に入っていました。

 この調査結果を見て、「キャラはまだまだ活用の余地がある。キャラとアイスの人気のギャップを埋めてみよう」と考えました。そこで、05年春から、スーパーやコンビニのアイス売り場にキャラを前面に押し出した販促POPやパネルを設置し、7種類のガリガリ君を並べるという販売方法を取りました。

編集部: なるほど。どんな狙いがあったのですか?

萩原部長: アイス売り場で親子の会話を増やすことです。ガリガリ君は親子の両方をターゲットとした製品ですので、「ガリガリ君って、こんなに種類があったんだ」「お母さんは小さい頃、コーラ味が好きだったんだよ」など、会話を増やすことで話題性を高める目的がありました。

 この施策では、売り場への立ち寄り率を向上させ、売り上げの拡大につなげることができました。

●“コラボ企画”など、独自の取り組みを強化

編集部: ガリガリ君は、他の企業とコラボしたPR施策もたくさん行っていますよね。コラボを始められた時期はいつですか?

萩原部長: 05年からです。初めてのコラボ企画では、コナミさん、小学館さん、バンダイさん(当時)と組んで、ガリガリ君のキャラが登場するゲーム、漫画、キーホルダーをそれぞれ開発しました。この施策は、「子供たちの会話にガリガリ君を登場させる」という狙いがありました。

編集部: 異動後3年目の06年は、ガリガリ君の発売25周年でもあります。何か特別な取り組みはされたのですか?

萩原部長: 06年は、ガリガリ君の事業を会社全体で応援してもらえるよう、社内の風土を変える取り組みを行いました。当時、競合企業の売り上げが3000億円~1兆円だったのに対し、赤城乳業の売り上げは200億円強でした、資金力では他社に勝てないと考えたためです。

 具体的には、今でも使われている企業メッセージ「あそびましょ。AKAGI」を考案したり、ガリガリ君をモチーフにした1年間限定の社章を作ったり、コーポレートサイトをガリガリ君を起用したデザインに変更したりと、全社員を巻き込んだ仕掛けを作りました。

編集部: まずは社内の改革から取り組まれたのですね。顧客向けの施策はいかがでしょうか。

萩原部長: リクルートとコラボし、「ガリガリ部」というファンクラブを3月に立ち上げました。5月頃に、当たり棒を送ると金色の部員証がもらえるというキャンペーンを行ったところ、約1000人もの部員から当たり棒が届いて驚きました。

 8月には部員が5万人に増えたので、希望する味のアンケートを取りました。結果を踏まえて「みんなのマンゴー味」を作り、発売すると大ヒット。この年の夏は晴れの日が少なかったにもかかわらず、売り上げが前年比115%を記録しました。

 ファンクラブ以外では、需要が落ち込む冬の売り上げを改善するために、プロモーションを一切せずに新商品を発売する取り組みを行いました。

 発売したのは、ガリガリ君の妹・ガリ子ちゃんをパッケージに起用した「ガリ子ちゃん クリームソーダ味」。販売店に話を通して、発売当初は売り場にガリガリ君を一切置かず、「ガリ子ちゃん」だけを並べてもらいました。

 突然商品が入れ替わったので顧客も驚いたようで、「ガリガリ君」関係の単語がインターネットの検索ランキングで上位に入ったほか、掲示板サイト「2ちゃんねる」でも話題になっていました。

編集部: なかなか思い切った施策ばかりですね!上司から怒られることはなかったのですか?

萩原部長: 当時の経営トップは「異端であれ」「小さくても強くあれ」をモットーとしていたので、逆に普通のことをやると怒られていました(笑)

編集部: 経営方針も、ガリガリ君のヒットを後押ししていたんですね。07年以降の販売戦略はどうでしょう?

萩原部長: 07~09年は、企業とコラボした小ネタづくりに引き続き注力しました。バンダイさんとコラボして、ガリガリ君の形をした入浴剤を販売したり、ティーン女性向けファッション誌『Popteen』読者イベントでは女子高生に渋谷でサンプリングを行ったり。

 企画の当たり外れはありましたが、地道な取り組みが奏功して、09年の売上本数は2億5000万本にまで達しました。

●工場の新設と“ワールドカップ効果”で売り上げ急増

編集部: 赤城乳業は10年に、新しいアイスクリーム生産工場「本庄千本さくら『5S』工場」(埼玉県本庄市)を新設しました。その後の商品戦略には、どのような影響があったのでしょうか。

萩原部長: 60円のアイスを作るのに、会社が100億円もの投資をしたので、プレッシャーは大きかったです。既にガリガリ君は日本で最も売れているアイスになっていましたが、よく食べている“よく購入する人”は14%程度。残りの86%を取り込むために全力を尽くしました。

 例えば、10年夏には、南アフリカで開催されたサッカーのワールドカップに乗じたキャンペーンを行いました。当時、サッカー日本代表チームのサポーターは約6700万人、ガリガリ君のファンは約1800万人でした。この差を埋めない手はないと考え、ガリガリ君が日本代表ユニフォームを着たパッケージの「ガリガリ君ソーダ SAMURAI BLUE」を発売したり、背中に「GARIGARIKUN」とプリントされたレプリカユニフォームをアディダスさんと制作したりと、代表チームとのコラボに注力しました。

編集部: あの年の日本代表は、ベスト16入りするなど大活躍でした。売り上げにはどんな影響が出たのですか?

萩原部長: 本田圭佑選手がゴールを決めた試合の翌日の売り上げが、前日の14倍に急増する店舗が出てくるなど大成功でした。10年の夏は観測史上最大の猛暑を記録したということもあって新規顧客を大量に獲得し、なんと売り上げ本数は3億本にまで達しました。工場を新設したので生産量を増やしてみたら、一気に売れてしまった印象です。

編集部: 翌11年は東日本大震災が起きた年でしたが、何か復興につながる施策を行ったのでしょうか。

萩原部長: 節電対策として、「ガリガリ君とうちわで暑い夏を乗り切ろう」をテーマに、ガリガリ君とうちわをセット販売し、イベントでは収益の一部を寄付するキャンペーンを実施しました。また、被災地でのサンプリングも行いました。

 また、ラーメン界の一大イベント「東京ラーメンショー2011」に協賛し、会場では「ガリガリ君 梨」を先行販売。この利益も義援金として寄付しました。かなりのお客さんが並んでくださり、開催期間の5日間で2万5000本ほど売れました。

 こうした施策の影響もあって、販売本数はまたもや過去最高を更新。なんと3億9000万本にまで達しました。

●「プレスリリースを書くこと」の楽しさと大切さ

編集部: 翌年以降の取り組みはどうですか。

萩原部長: 12年以降は、プレスリリースを書くことの楽しさと重要性に気付きました。ガリガリ君の新商品を出す際のプレスリリースを全て私が執筆し、メディアの方に取り上げてもらいやすいよう工夫しました。

編集部: 広報担当の方や広告代理店にプレスリリースを書いてもらう企業が多い中、ご自身で書かれているとは驚きです。印象に残っているフレーズはありますか。

萩原部長: 10~11年は「ガリガリ君 梨」が売り切れ、欠品を起こしてしまったので、12年に発売する際は「今年こそ幻とは言わせない」と題したプレスリリースを書きました。すると、その表現が話題を呼び、多くのメディアに取り上げていただいたほか、Twitterのトレンドにも入りました。

編集部: 12年は斬新な新商品「コーンポタージュ味」を発売し、大ヒットを記録しました。開発のきっかけは何だったのですか。

萩原部長: とある取引先の方に「安定供給はわかるけど、夏のガリガリ君の商品開発、攻めてないよね。ガリガリ君は何かやってくれると期待しているよ」とチクリと言われ、「何くそ!」と思ったことがきっかけです(笑)

編集部: この商品についても、プレスリリースをご自身で書かれたのですか。

萩原部長: はい。プレスリリースのタイトルは特に工夫し、「ガリガリ君史上最大のニュース、最大の衝撃」としました。すると、多くのメディアに取り上げられ、ガリガリ君関係の記事が「Yahoo!ニュース」のトップに7回も入って驚きました。もちろん、TwitterやFacebookでも広く拡散しました。

 この「キャッチーなプレスリリースを書き、記事にしてもらい、SNSを盛り上げる」というコンセプトを2年間かけて徹底したところ、13年の売り上げは4億7500万本にまで増えました。

●初めて経験する大きな壁

編集部: 14年は初めて販売本数が前年比を下回ってしまったんですよね。原因は何だったのでしょうか……。

萩原部長: ご存じの通り、コンポタ、シチューのブームに乗った新商品「ナポリタン」が全く売れなかったことです。この商品は300万本以上が売れ残り、約3億円の赤字を計上しました。「魔がさした商品」だと思っています……。

 また、あの年は夏を「ファーストサマー」「セカンドサマー」に分け、残暑~秋にかけてもガリガリ君を投入する予定だったのですが、14年は残暑がなく、涼しくなるのが早かった。その結果、売上本数は初めて2ケタもダウンしました。自然の厳しさを感じましたね。

編集部: 周囲からは、どんな反応がありましたか。

萩原部長: 「何をやっているんだ!」と言われ、叩かれました。かなり辛かったですね……。ただ、口では「申し訳ございません」と言いつつ、内心は「見てろよ」と燃えていました。

 そこで15年に取り組んだのが「しつこさの継続」です。失敗した施策に、あえてもう一度チャレンジしようと考え、夏を「プチサマ―」「ファーストサマー」「セカンドサマー」の3つに分けた販売戦略を進めました。

 プチサマーに1番の持ち味の梨味を持ってきて、ファーストサマーに新フレーバーのスイカを発売。秋には20~30代女性向けに、果汁多めのジェラートバーを投入しました。

 企業とのコラボにも再度注力し、日本郵便と組んでガリガリ君の引換券付き「かもめーる」を販売。友人や親戚に「ガリガリ君付きの暑中見舞い」を送れるキャンペーンなど、小さな取り組みを50回ほど行いました。しかし、起死回生の一手とはいかず、15年は利益がほとんど出ない状態になってしまいました。

●メディアを活用して得た「値上げへの理解」

編集部: 16年には値上げをしたにもかかわらず、売上本数の回復に成功しています。なぜでしょうか。

萩原部長: 値上げの際は、プレスリリース執筆、PRなどで培ったノウハウを生かして、メディアに報じてもらうことで広く理解してもらう方針を取りました。

 まずは、2月頃にTBSの『ジョブチューン』という番組で、ナポリタン味が3億円の赤字を出したことについて包み隠さず話しました。

 それ以降も、メディアの取材を一切断らず、あえて全て受けることにしました。大手の新聞やテレビ局だけでなく、週刊誌・夕刊紙に至るまで、あらゆるメディアに取材してもらいました。最も詳しく報じて下さったのは、まさかの『週刊プレイボーイ』さんでした(笑)

 そして、値上げ当日の4月1日には、日本経済新聞の1面に値上げのお詫び広告を掲載。テレビでは、値上げに関するCMも放送しました。

 こうした取り組みによって顧客の理解を得られたおかげで、売上本数を3年ぶりに10%程度回復させることができました。

 皆さんへの恩返しとして、17年は、新フレーバー「九州みかん味」の売り上げの一部を熊本地震の復興義援金として寄付するなど、地域貢献を行っています。

編集部: 最後に、仕事をする上での心構えを教えてください。

萩原部長: この仕事をする上では、簡単に諦めないことが大切です。失敗しても「伏線」と考えて、後で回収すればいい。これからも業界の「異端」であり続け、他のメーカーがやらないような施策を打ち出していきたいと考えています。