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「父のことは大好きです」“麻原彰晃の娘“アーチャリーを通して考える犯罪加害者家族の人権

5/25(木) 8:00配信

AbemaTIMES

■「信仰というより文化だった」

 1995年の地下鉄サリン事件など、数々の凶悪事件を引き起こしたオウム真理教。一連の事件を主導、信者たちを指揮したとされる教祖・麻原
彰晃こと松本智津夫死刑囚の三女・松本麗華さん(34)に、“麻原彰晃の娘“としての人生を振り返ってもらい、犯罪加害者の家に生まれた子どもを巡る環境について考えた。

 麗華さんは5歳の時にオウム真理教の施設に引っ越した。小学校には通っていなかった。

 「学校に行かず、父の介助です。一日のほとんどの時間が潰れます」。
 
 普通の家族とは異なる暮らし。自分よりも教団を優先する父の姿に、子ども心に疑問もあったようだ。

「私からしたら何もいいことはないんですね。なんで家族を選んでくれないのって」。

 父親と幹部たちの間で交わされていた会話に、何か事件と関連するものはなかったのだろうか。

 「教育を受けていないので、日本語でも意味が分からないんです」。難しい言葉になると十分に理解できなかったそうだ。

 罪を犯した信者たちはオウム真理教の教義に忠実だったというイメージもある。しかし麗華さん自身は、教団の教えは「信仰というより文化だった」と考えている。

 「例えば、虫を殺しちゃいけないとか、物を盗んじゃいけない、嘘ついちゃいけないというような、仏教的な思い、文化でした。私にとっては、みなさんが考えているようなマインドコントロールや洗脳という形での信仰はなかったと思います」と話す。

■当初は事件報道が信じられなかった

 1995年の事件当時11歳だった麗華さんは、「アーチャリー」というホーリーネームを与えられ、松本死刑囚や幹部が身近にいる環境で生活を送っていた。当初、“不殺生の教団が人を殺した“という報道や、警察のことが信じられなかったという。

 「警察官には、父が逮捕され、私が泣いているところを撮られたこともあります。もし、警察の人たちが優しく、モラルがある人たちだ、と感じることができていたら、信者たちも“やっぱり警察の方が正しい““社会の方が正しい“という考えを持てたのではないでしょうか」。

 父が逮捕されると、麗華さんの生活も一変した。教団関係者と共にオウム真理教の施設を出て、福島県内に移り住んだ。しかし、学校への入学は拒否される。同世代の子と遊びたいという夢も遠ざかった。

 「住民票も作ったので、これで私も学校に行けるんだなって思いました。でも、うまくいかなくて。中学校も、小学校を卒業してないから入れないとい言われました。私、部活が夢だったんですよ。体操がやりたかった」。

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最終更新:5/25(木) 10:06
AbemaTIMES

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