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伸ばせば3メートル以上! ジャバラ地図『全国鉄道旅行』の存在意義

5/26(金) 7:10配信

ITmedia ビジネスオンライン

 『全国鉄道旅行』という地図がある。発行元の昭文社は『マップル』『エアリアマップ』『ことりっぷ』で知られる地図出版社だ。全国鉄道旅行は、書店の棚では細長い地図帳のフリをしているけれど、実は1枚の地図が扇子のように折りたたまれている。全て広げると3メートル20センチほど。しかし扱いは手軽だ。山折りと谷折りを繰り返すジャバラ構造になっている。見たいところだけ開くと、ほぼB5サイズである。隣の地域を見たいときはパタンと次の谷間を開けばいい。

【昭文社の歴代ジャバラ地図】

 この地図のすごいところは、この長い片面に日本列島を全て納めたデザインだ。もちろん沖縄や離島もある。正縮尺では収まらないから、かなり細長く変形させている。しかし、この変形にもこだわりを感じる。半島の形は特徴を捉えているし、湖の位置もそれなりの場所にある。

 ここにはJR旅客会社の全路線と全駅が載っている。民鉄も網羅している。本線と支線の合流の向き、乗り換え駅の交差、実際に近くにある駅同士の関係が反映されている。海のそばの路線はちゃんと海沿いにある。むしろ、鉄道路線図を反映させるために地形を変形させているようだ。都市部や地下鉄は密度が高いので、裏面に詳細な拡大路線図を掲載。直通運転を反映するなど、路線の色分けも工夫されている。

 さらに、毎年1回、あるいはそれ以上、ちゃんと新版が発行されている。最新版には北海道新幹線はもちろん、広島県の可部線の延伸区間2駅もある。そして、残念だけど留萌本線の留萌~増毛間は消えた。月刊時刻表の地図も毎月更新されているとはいえ、地図帳、鉄道ガイドブックとして見れば、しっかり更新してくれるのはありがたい。

 そして800円(税別)という低価格。全線全駅を網羅した鉄道路線地図帳としては安い。旅先に持ち歩いて、汚れたり破れたりしても買い直そうという気持ちになれる。毎年、最新版を買いたくなる。しかも付録に64ページの冊子が付いている。さまざまな交通機関の利用方法やおすすめスポットが載っていて、鉄道旅行初心者にとって親切な内容だ。

 まだまだすごいところはあるけれど、追って紹介しよう。今回はべた褒めである。ステマと疑われそうで不安になるくらいだ(違うよ)。私はこの地図のファンであり、なくてはならないモノだ。しかし、私の『全国鉄道旅行』への愛情はゆがんでいるかもしれない。

●乗った路線を塗りつぶせ

 私の『全国鉄道旅行』の用途は“乗りつぶし”だ。乗車した路線を黒いペンで塗りつぶしていく。同時に表計算ソフトでも記録しているが、地図を見ればまだ乗っていない路線や区間がひと目で分かり、計画を立てやすい。日本百名山の全てを登ろうという登山家がいるように、全国の鉄道路線全てに乗る“乗り鉄”も少なくない。

 乗り鉄たちは、それぞれのやり方でスコアを管理しているが、残念ながら決定版がない。2014年にJTBパブリッシングが乗りつぶし記録アプリ「レールブック」を提供した。時刻表発行元の会社だけに、これが決定版と思われた。しかし、17年5月をもってサービスを終了する。無料アプリとしてスタートしたまま、収益化が難しかったようだ。

 私にとっては『全国鉄道旅行』が視覚的管理ツールの要となっている。特に、「毎年、必ず新版が出る」ことがありがたい。“乗りつぶし”愛好者向けの路線図や白地図は時々出版されるものの、たいていは1回限り。鉄道趣味のなかでも奥深い“乗りつぶし”に特化すると市場を狭めてしまうから、売れなかったのかもしれない。改訂版が出る路線図もあるとはいえ更新頻度は少ない。

 ライフワークとして“乗りつぶし”を楽しむためには、路線図が“きちんと改訂される”と定まっていないと心もとない。その点、『全国鉄道旅行』はきちんと改訂される。地図だから更新されて当然ともいえる。鉄道好き、旅行好きという、ふんわりとした大きな市場に向けて、毎年更新され、結果として“乗りつぶし”に都合がよく、安心して“便乗”できるというわけだ。

 私の使い方は、この地図の作り手から見ると邪道だろう。せっかく編集者が路線ごとにきれいに塗り分けた路線図を、全て黒く塗りつぶしているからだ。だが、私にとって、この地図は塗りつぶすためにある。むしろ本来の使い方が分からない。いったいこの地図は何のために存在しているのだろう。

●年間最大3万部の優等生

 日本全国を1枚に収めたジャバラ地図は、そもそもなぜ作られたか。ちゃんと売れているのか。来年も出してくれるか。確かめに行こう。発行元の昭文社を訪ねた。恐る恐る、私の黒塗りの『全国鉄道旅行』を開く。すると、「うおおおっ」とうなり声が……。まずはおわび。せっかく作った商品を汚されたわけで、お怒りはごもっとも。

 ……と思ったが、担当編集者の宇田川友道さんは笑顔。「鉄道好きの方はこういう使い方をされるだろうなあと思っていました。全国を1枚に収めた意味があるなあと。“書き込んで使える”は紙の地図のメリットです。ぜひこれからも塗っていただければ(笑)」。

 お墨付きをいただけたので本題に入る。そもそもこの地図はどんな用途を想定して作られたのだろうか。宇田川さんは、「お客さまがどのように使われているか、こちらでは把握していません。しかし、企画意図は“日本の鉄道路線図を1枚で見せたい”でした」と話す。

 えっ、それだけ……。そんな思い付きだけで商品が成立するだろうか。ところが、成立した時代背景がある。『全国鉄道旅行』のルーツ、1971年発行『全国鉄道旅行図』がその答えだ。

 昭文社は1960年に創業。大阪の区分地図から始まり、マイカーの普及に伴って道路地図で急成長した。10年後、70年の大阪万博も手伝って国内旅行が盛り上がる。長距離旅行は鉄道が主役という時代だ。国鉄は地域限定で自由に乗り降りできるワイド周遊券を改良し、往復の経路を自由に選択できる「ニューワイド周遊券」や、自由乗降地域を小さくした「ミニ周遊券」を発売した。そしてこの時期、市販の時刻表も相次いで判型が大きくなっている。現在のJR時刻表の前身『大時刻表』は64年に登場した。JTB時刻表の前身『交通公社の時刻表』も67年に現在のB5判になった。

 しかし、時刻表の地図は路線の掲載ページを探すための索引の役割で、掲載ページ数も限られている。これに対して、旅の目的地探し、旅の気分を楽しむガイド地図として『全国鉄道旅行図』が誕生した。表面の日本地図に国鉄の全線全駅と景勝地、裏面に主要観光地の拡大地図を載せた。路線図だけなら時刻表の巻頭地図でも足りる。しかし、全国の一枚地図を広げ、指でたどり、線路はつながっているんだなあ、と感じ取れるのはこれだけだ。読みやすい文字、線路と駅の位置関係、そこに地図編集者の美学がある。これがヒット商品となった。

 この系譜が40年後の2011年に誕生した『全国鉄道旅行』に受け継がれ、現在も続いている。経年版といって、毎年おおむね春ごろに改版されて、1万部から1万5000部が売れている。店頭在庫が減り、路線の新設、廃止が重なる場合は、年に2回目の経年版を出す。つまり、最大で3万部も発行する年がある。出版不況といわれ、特に地図分野はインターネットの無料地図も普及する中で大健闘といえる。

 その堅調な部数のなかに、私のように経年版を待っているリピーターの存在がある。16年は「北海道新幹線が掲載された版はいつ出るか」という問い合わせが多かった。北陸新幹線延伸開業時よりも、関心の高まりを感じたという。表紙に「北海道新幹線開業」とシールを貼ったところ、書店の北海道新幹線開業関連のコーナーに置かれてよく売れたそうだ。この分なら、来年以降も経年版が出るだろう。安心した。

●デフォルメ地図ならではのこだわり

 日本全国の鉄道路線を1枚に収める。それは伝統であり、編集者のこだわりだ。『全国鉄道旅行』は3メートル20センチ。実は1枚の紙ではなく、3枚の地図を貼り合わせて作っている。印刷機と折り機の能力にも限界があるためだ。貼り合わせは手作業とのこと。正確に線を合わせているため、眺めているだけでは気付きにくい。私は黒く塗りつぶすときにペン先が引っ掛かって初めて気付いた。この工程があるため、他の地図帳と比べて、印刷開始から発売日までは余分の日数を必要とするという。

 鉄道路線の新設や廃止は3月が多い。それを反映した経年版の発売は4月の大型連休前を目標としている。経年版の準備は1月中旬に始めるという。未確定要素も多いため、確定情報を粘り強く待ち、4月上旬に編集作業を終わらせて印刷にかかる。ギリギリまで情報を反映させたい編集部と、締め切りを厳守したい印刷所とのせめぎ合い。どこの編集部でもある話だが、「早めに入稿してくれないと折れない、のりが乾かない!」と、ジャバラ式地図ならではやりとりがある。

 路線の追加方法もこだわる。今年3月に延伸した可部線を見ると、線の傾きが駅間ごとに違う。かつて三段峡まで通じていた可部線が廃止され、延伸区間はその線路をなぞっている。それを再現したという。地下鉄や私鉄など、路線が延伸した場合は「将来、さらに延伸するかもしれない」などと考えながら線を引く。

 裏面の地下鉄路線図では、2015年に開業した仙台市営地下鉄東西線の記載方法について、編集部内で議論があったという。当初、仙台市営地下鉄は南北線だけだった。掲載枠も縦長だ。このままでは東西線を真横に描けない。しかし、枠を広げると他の都市の地下鉄路線図まで変更する必要がある。今回は枠の大きさは変えず、東西線を逆U字型に描いた。

 札幌市電のループ化新設区間は斜めになっている。札幌市営地下鉄の駅との距離感を配慮したためだ。単純に線を加えるだけではなく、付近の路線や駅との距離感を反映させたい。そこにデフォルメ地図ならではのこだわりがある。『全国鉄道旅行』の前身『全国旅行』では、05年の「つくばエクスプレス」開業を盛り込んだ。長距離路線だけに苦心したという。

 経年版では、その距離感の見直しも行われている。例えば北海道新幹線だ。新規開業時に違和感なく描き入れたと満足したが、北海道新幹線の奥津軽いまべつ駅と津軽線の津軽二股駅は隣接と言っていいほど近接していると知り、最新版では描き変えた。「誰も気付かないかもしれないけど、やってやったぜ」と祝杯を挙げたい気分だったそうだ。

●地図編集者としても廃線は寂しい

 新規路線や延伸区間の描き入れに比べると、廃止路線の削除は簡単だ。しかし、代々の担当者が距離感や長さを熟慮して描いた線を消すことになる。その意味で、地図編集者ならではの喪失感があるという。鉄道の廃線は、地元の人々にとって喪失感が大きい。鉄道や駅がなくなると、町や村が地図から消えてしまう。その気持ちは、地図を作る側にも通じている。16年は留萌本線の留萌~増毛が消えた。18年は中国地方の三江線が消える。長大路線が描かれた場所がぽっかりと空く。

 描いた部分を取り払って、うれしい場合もある。それは、不通区間の注釈だ。東日本大震災後の経年版では、三陸方面の多くの路線が不通となった。不通区間には運休、バス代行など注釈を入れて対応した。その不通区間が少しずつ復旧して、注釈を取り払う。これはうれしかったそうだ。気仙沼線、大船渡線の一部区間はBRT(バス高速輸送システム)による代替運転となっているが、『全国鉄道旅行』では、鉄道と同じ太さの線になっている。

 「自治体が復旧を断念したという報道があって、代替バス運転となり、仮復旧と言いつつ線路を取ってしまう。これで本当に復旧するのか。地元の住民感情からすると鉄道は通しておきたい。自治体も住民感情に配慮して、公式に廃止という発表をしない。そこは悩むところです」(宇田川さん)。

 存続が未確定のまま、線路の太い線をバスの細い線に変えてしまうと、地元も鉄道ファンも大騒ぎになってしまうだろう。ただし、旅行ガイドという建前上、実態に合わせるべきという考え方もある。迷うけれど、基本は公式発表である。

●次の大改訂はリニア中央新幹線?

 1971年版の『全国鉄道旅行図』から、最新の『全国鉄道旅行』まで、過去のリニューアル版を並べて比較してみたら面白かった。国鉄からJRへ、路線の新設や廃止を比較できる。大都市の路線網が発展していく。逆に北海道と北九州は隙間が増える。どちらも石炭の輸送路線が綿密な路線網となっていた地域だ。今後、北海道の地図はどうなるのか。地形ごと縮小してしまうかもしれない。北海道の大きさが同じままなら、かえって喪失感が大きすぎる……。

 地図の作り方の変化も分かる。1971年版は、山陽新幹線の岡山~博多間が点線になっている。当時は何年か先の開業予定の路線が記載されていた。現在は発売後すぐに開業のケースを除いて予定や未定は描かれない。地図に限らず、昔の印刷物は版下という厚紙の台紙に写植文字や図版のアタリ(指示)を貼って作っていた。簡単には作り直しができないから、開業予定線もあらかじめ入れていたらしい。現在は編集作業が電子化されているため、短期間で事実だけを記載し更新できる。

 次の大幅改訂は、リニア中央新幹線の開業だろう。もしかしたら、地形を変えるなど大きな作り直しになるかもしれない。ところが、現在の『全国鉄道旅行』を広げ、実際にリニア中央新幹線のルートをたどってみると、かなり一直線に近い線になりそうだ。これには感心した。もともとのデフォルメ地形が、主要駅の位置関係をきちんと考えて作られていたといえる。

 昭文社は『全国鉄道旅行』に加えて、2つのジャバラ地図を販売している。『全国高速道路』と『全国道の駅マップ』だ。どちらも沿道の観光地のイラストがちりばめられており、にぎやかだ。『全国鉄道旅行』のファンとしてはちょっと悔しい。それはともかく、どちらも、高速道路を塗りつぶし、道の駅の全駅訪問を志す人にオススメだ。その使い方が正しいかどうかは関係ない。地図の使い道はユーザーが決める。

 大切なことは、毎年、新しい経年版が出ることだ。100万部を1回だけより、1万部を100年続けてほしい。これからもよろしくお願いします。

(杉山淳一)