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「僕には才能がないんです」加藤恒平、底辺から這い上がった日本代表MFの物語

5/27(土) 18:22配信

GOAL

「シンデレラボーイ」

そんな風に思っている人も多いかもしれない。

日本代表に初招集された、加藤恒平のことだ。

J1でのプレー経験なし。年代別代表の経験なし。そんな選手が、日本のサッカー選手の頂点である日本代表に選ばれることなど、常識的にはありえない。だが、加藤は常識を覆してみせた。

ブルガリアでプレーする「異色の経歴の持ち主」の選出は、大きな話題になった。帰国会見では40人以上の報道陣に囲まれ、あらゆるメディアに「加藤恒平」の経歴とコメントが載った。

すっかり“時の人”になった加藤から電話をもらったのは、日本に帰って来た次の日だった。「すごいことになってるね」と言うと、「びっくりしました。空港に着いたら、たくさん人がいて……。でも、珍しいもの見たさだと思います」という答えが返ってきた。

それを聞いて「らしいなぁ」と思った。加藤が欧州リーグに渡ったのは2013年。日本ではJ2でしかプレー経験がない無名の選手が、日本代表にたどり着くまでにかかったのは、4年半だ。

たった4年半で人生は変わる——。

だが、それは決して偶然ではない。自分を客観視し、とことん向き合い、目標にたどり着くために1日1日を積み重ねる、そんな4年半の先にあったものだからだ。

■逆算から始まった挑戦

「僕には才能がないんです」

加藤の口癖だ。

和歌山に生まれて小学生の時にサッカーを始めた。地元のチームでは、いわゆるお山の大将で「何でもできる感じだった」。だが、プロになるためには、この環境のままではいけないと、ジェフ千葉の下部組織のセレクションを受けた。

何とか合格したものの、加藤はすぐに壁にぶち当たる。地元で一番だった自分の実力は、どう見てもチームで一番下だったからだ。

普通なら、プロになることを諦めてもおかしくないだろう。だが、加藤は違った。自分には才能がない。だったら、どうすればプロになれるか。それを必死に考えて、練習以外の時間でも努力を積み重ね、最終的にはレギュラーになった。

最初は一番下っ端でも、そこから這い上がっていく——。サッカー選手・加藤恒平のキャリアは、その連続と言っていい。

FC町田ゼルビアを1年で退団して欧州に挑戦したのも、「日本代表になるためにどうすればいいか」を考えたからだった。ジェフ千葉でユースからトップに上がれず大学に進学。Jリーグで活躍して日本代表に選ばれるという王道コースには乗れなかった。自らの実力を客観的にとらえたとき、普通に日本でプレーしているだけでは、目的の場所にはたどり着けない。

「どこでも良いからヨーロッパに潜り込んで、そこからステップアップしていこう」

山登りに例えるなら、推奨ルートを無視して、誰も歩いたことのないルートから頂上を目指すようなものだ。もちろん、日本で大した実績もない加藤に、最初から良い条件のオファーが届くはずもない。欧州でテストを受けさせてもらえるクラブを探し、売り込むことを繰り返した。

本当はスペインに行きたかった。だが、半年間の浪人生活の末に決まったのはモンテネグロのクラブ、ルダル・プリェブリャだった。プレーできる場所がそこしかなかったのだ。グラウンドはデコボコで、スタジアムはボロボロ。給料もお小遣い程度。まさしく欧州の底辺からのスタートだった。

■中東からのオファーと、代表への思い

「すぐにでも“脱出”しようと思っていました」

チームがオフの時は近隣国のクラブのテストを受けに行き、ステップアップのチャンスを貪欲に探った。地続きで、どこの国にも数時間で行けるヨーロッパの利点を生かした。

2年間モンテネグロでプレーした後、ポーランドのポドベスキジェ・ビェルスコ・ビャワに移籍した。ここでようやく「プロらしい環境」を手にする。スタジアムは新しく、試合の模様はテレビ中継される。給料も10倍以上になった。

ポーランドでは開幕戦でマン・オブ・ザ・マッチに選出されるなど順調だった。しかし、加藤はここにも留まるつもりはなかった。ポーランドを行き先にしたのも、「ドイツと距離が近くて、ブンデスリーガに多くの選手が行っているから」という理由だった。

ポーランドのチームを退団して移籍先を探していたタイミングで、魅力的なオファーが舞い込んだ。UAEのクラブから「年俸3500万円で移籍しないか」というものだった。

欧州リーグで試合に出場している日本人は、中東のクラブにとって計算できる戦力と見られるのだという。しかし、加藤は迷うことなく突っぱねた。「自分はお金がほしいわけじゃない。中東に行ったら、日本代表からは遠ざかることになる」。

このとき、すでに26歳。年齢が上がれば上がるほど、日本代表に呼ばれる可能性は下がる。加藤に残された時間は少なくなっていた。だが、わずかなチャンスでもつかむために、加藤はやるだけのことをやった。

例えば、ユーチューブで「Kohei Kato」と検索すると、加藤のプレー動画が出てくる。出足の良いインターセプト、球際での当たり負けしない強さ、ボールを奪った後の縦パスなど、加藤のプレースタイルがよくわかる。

とはいえ、香川真司や本田圭佑のような、有名選手ではない加藤のプレー動画を、誰が作っているのだろうか。答えは、「本人」だ。

加藤は欧州中の試合映像を見られるスカウティングサイトと個人で契約している。自分が出た試合の中から、良いプレーを抜き出し、映像ソフトで編集し、動画サイトにアップロードする。そんなことをやっている日本代表候補選手は、おそらく加藤だけだろう。

「良い選手だったら、自分でやらなくてもいいけど、自分はそこのレベルにないので。でも、自分のプレーを見ることでプラスになることも多いんですよ」

自分の強みは何なのか。あるいは何が課題なのか。自分のプロモーション映像をつくることで、客観的に分析する習慣がついたのだ。

■“誰にも負けない才能”とは?

ヴァイッド・ハリルホジッチ監督は加藤のことを「ボールを奪える選手」と評価した。それは加藤が、欧州の地で磨き続けてきたものだ。

「自分には才能がないんです」

加藤の口癖だ。

だが、加藤には誰にも負けない才能があった。目標に向かって、何をやるべきかを逆算し、貪欲に実行し続けられるという才能が。

筆者が加藤に会ったのは、今年の1月だった。そのとき、日本代表への熱い想いを口にしていたのを強烈に覚えている。

「日本代表に入って、日本で一番サッカーがうまい人たちの中で、自分がどれだけできるのか試してみたいんです」

それから6カ月後。加藤は本当に日本代表に選ばれた。J1でのプレー経験も、年代別代表に選ばれたこともない加藤にとっては、全員が初対面。「ホームなのに、どアウェーです」と笑う。

今回も一番下っ端からのスタートになる。おそらくは、ダントツの——。だが、それこそ加藤が待ち望んでいたものだろう。

道なき道を切り開いてきた男の挑戦は、まだまだ続く。

文=北健一郎

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最終更新:5/27(土) 18:22
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