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後藤ひろひとインタビュー「大阪は夢の場所」

5/27(土) 8:00配信

Lmaga.jp

劇団「Piper」を主宰する演劇人でありながらも吉本興業に所属し、映画『パコと魔法の絵本』の原作者でも知られる後藤ひろひと。これまで兵動大樹(矢野・兵動)と「劇団ひろひょう」を結成したり、4年ぶりの新作舞台では黒田有(メッセンジャー)を主演に抜擢するなど、お笑い芸人たちを演劇の世界に導くキーパーソン的な役割も果たしている。そんな彼が現在力を入れているのが、観客をエキストラとして映画の撮影に巻き込み、その日のうちに作品を編集&上映する「デルシネ(出るシネマ)」だ。後藤にこの企画の生まれたきっかけや、彼自身の笑いのルーツなどについて話を聞いた。

【写真】ちょびヒゲをつけ後藤にそっくりなたむけん

「大阪の笑いがまったく理解できなかった」

──これまでの作品を観ていると後藤さんの笑いは、下世話なのにウェルメイドだとか、ナンセンスとホラーが紙一重とか、いろんな要素が入り混じってますよね。

俺が育った山形は、日常で「笑わせる」という文化がないから、TVから流れてくる笑いがすべてだったの。だから好きなモノを選ぶなんて余裕はなく、モンティ・パイソンもコント55号もドリフターズもまったく一緒。でもその分、いろんな人のいい部分だけを吸収できたと思うから、それで異文化みたいな笑いになったんじゃないかな。ただ俺は大阪に来た当時、大阪の笑いがまったく理解できなかったんだ。『吉本ギャグ100連発』のビデオを観て、友達と「これで笑う理由は何なんだ?!」と大ゲンカしていたから(笑)。

──それなのに後年、大阪の笑いの象徴と言える吉本に入るとは・・・。

学生の頃の俺にその話をしたら「絶対それはない!」とブチ切れるよ(笑)。俺が入った時代は、吉本の芸人の多くは演劇に興味がなくて、逆に演劇側は吉本を一方的に嫌ってるという状態が続いてた。この流れが変わったのは、たむらけんじから作・演出の依頼が来て、その時まで吉本から来た仕事には見向きもしなかった俺が、それを引き受けたことだね。

──「baseよしもと」で上演した『北大阪信用金庫』(2000年)ですね。芸人さんがアドリブほとんどなしでガッツリ芝居をするというのは、当時非常に新鮮でした。

後で聞いたんだけど、その頃のたむけんは全然売れてなくて、引退を考えてたんだって。で、最後にやりたいと思ったのが「自分が連れている若手と一緒に、後藤ひろひとの芝居をやる」だったと。それで稽古を始めたら、みんな演劇人よりも本気で練習する人たちでね。多分「こういうこともできるんだ、俺たち」って、彼らの中の何かが目覚めちゃったんだと思う。その後たむけんは芸人を続けてブレイクしたし、公演後にコンビを解散した(お~い!)久馬君とかは「劇団的なことをやりたい」と言い出して・・・。

──それが後藤さんが名付け親になった「ザ・プラン9」。

そうそう。あと稽古場で「もう後は本番でよろしいやん」とか言い出したので、途中から稽古に入れなかった奴がいたんだわ。それが相当悔しかったらしくて、その後すぐ吉本新喜劇に入って、あっという間に座長に上りつめたのが小籔一豊(笑)。「あのヒゲの親父を見返したい」ってコンプレックスが、あいつの源流にあったんだろうね。

──そんな流れで、今では芸人が演劇の舞台に出るどころか、自ら作・演出やプロデュースをすることも、すっかり珍しくなくなりましたね。

(Piperの)川下大洋が「20年前なら当然演劇をやっていたような奴らが、今は(入学金)40万を持ってNSCに入る」と、まったくその通りのことを言ってるんだよ。だから今になって演劇をやりたがる芸人が増えたんだと思うし、俺はその垣根を超える手助けにはなれたんじゃないかなあ。その中でも一番愛せない、フランケンシュタインの創造物が、キングコングの西野亮廣(笑)。俺の作品をパクって書いた脚本の演出を頼んできたりとか、何年か一度俺の前に現れて、メチャクチャにしていくんだよね、俺の人生を(笑)。

──ところで後藤さんは以前、今も大阪に居続ける理由として、「『笑いの街はどこですか?』と聞かれて、その国の誰もが即座に名前を上げる都市など、世界中を探しても大阪しかないから」と話されてましたよね。

それは今でもそうですね。だって笑わせるのが上手な奴がすべてにおいて出世するなんて、俺にとってはカレーのお風呂と同じぐらい夢の場所ですよ(笑)。それにもし東京にいたらすぐビジネスに引っ張り出されて、4年間も(演劇の)新作を書かないで好き勝手やってるとか、許されなかったと思う。でもその間もとっても楽しくて、笑わない日が1日もなかったのは、やっぱり大阪の街が楽しいからなんだよね。この『デルシネ』も元はと言えば遊気舎(※後藤がかつて所属していた大阪の劇団)でやった『エル・ニンジャ』シリーズ(1995年、2000年)が原点だし、最初に大阪のお客さんが楽しんでくれたから可能性が広がったっていうのが、もちろんあると思うよ。

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最終更新:5/27(土) 8:00
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