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「家康陣跡」の正門確認 肥前名護屋城 佐賀

5/27(土) 10:05配信

佐賀新聞

 豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点とした唐津市鎮西町の肥前名護屋城の「徳川家康陣跡」で、正門とみられる虎口(出入り口)が新たに見つかった。発掘調査を進めていた県立名護屋城博物館が確認し、26日に発表した。一部の石垣の加工方法から江戸時代前期の構築物とも考えられ、番所などに使った可能性があるという。

 家康陣跡は、2013年度から4年計画で調査していた。虎口は陣の主郭部(約5千平方メートル)の南東側にあり、直線上に並ぶ礎石3基を確認した。間口は6メートルになり、先に見つかっていた北西側の虎口(間口4メートル)よりも規模が大きく、正門だったとみられる。

 礎石そばにある石垣の角石(幅81センチ、奥行き84センチ、高さ39センチ)は、ノミで面が整えられている。この加工技術や近くで出土された瓦から陣跡が江戸時代に入っても使用、改修されていた可能性がより高まった。北西側虎口でも、すでに「算木積み」と呼ばれる江戸時代の特徴を持つ石の積み方が確認されていた。こうした江戸以降の大がかりな改修は、家康陣跡しか見つかっていない。

 同博物館の長崎浩学芸員は「虎口が分かれば、建物の配置を探る手がかりになる。文禄・慶長の役では終わらない陣跡の使い方にも一歩迫れた」と話す。

 陣跡は本丸から北東約700メートルに位置する標高約52メートルの丘陵部にあり、今回見つかった正門からは名護屋浦を見下ろせる。江戸時代に描かれた絵図には、陣跡より海に近い場所に人や物の出入りを管理する番所の記述がある。長崎学芸員は「番所には、高い場所から監視する遠見番所とセットになったところもある。ここは見晴らしもよく、要衝として管理された可能性があるのでは」と話す。

 同博物館は28日午前10時半から史跡探訪会を開き、現地で説明する。茶苑「海月」の駐車場に集合。事前申し込みは不要、資料代300円。

最終更新:5/27(土) 10:24
佐賀新聞