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街でおなじみ、“あの似顔絵サービス“を立ち上げた男がアニマル浜口に学んだこと

5/27(土) 11:00配信

AbemaTIMES

 街でよく見かける、あのユニークな似顔絵の数々。その人の持つ顔の表情や特徴を独特な手法で捉えた、「カリカチュア」と呼ばれるこの手法は、ある一人の男が日本に持ち込んだものだ。

 それがカリカチュア・ジャパン代表取締役兼代表アーティスト・Kageだ。

 「絵で一人でも多くの人を幸せにして絵で食べていける社会」を理想に掲げ、フリーランスや個人事業主が一般的だった「絵描き」を束ね法人化。全国に27店舗を展開、年商8億円の企業に育て上げた。所属の絵描きたちは正社員として雇用している。

 自身も2007年にカリカチュア世界大会で優勝するほどの腕前だったKageだが、その身体は服の上からでもわかるほど、がっしりした筋肉に覆われている。実はプロレスラーを目指していたほどの肉体派で、なんとレスリング・浜口京子選手のスパーリングパートナーとして汗を流していた過去を持つ。

 なぜそんな彼が、レスラーから絵描きへ転身したのか。

 「もともと子供のときは絵が得意じゃなかったんです。それどころか、当時の美術の成績は1でした」。実はKageが「絵」に開眼するまでは壮絶な道のりがあった。

アニマル浜口父娘との日々

 1977年に東京・神田で生まれたKageは、幼いころから重度の喘息に悩まされ、満足に学校にも通えなかったという。

 「風邪を引くと必ず入院っていうレベルで、小学校のときは入院している方が長かったですね。本当に何度も死にかけました。寝ている自分を上から見たこともありますよ」。

 長い入院生活の中で出会ったのが「絵」と「プロレス」だった。

 「点滴しているから片方の手しか自由にならない。だから退屈しのぎで絵を描いたり、後は本を読んだりしかなくて」。

 中でもKage少年の心を捉えたのが、プロレスラー前田日明が書いた『パワーオブドリーム』という本だった。「いつか僕も強い男になりたい」。Kage少年は病床でプロレスラーになることを決意する。

 体を鍛え、5年かけて少しずつ喘息を克服していったKage。高校ではレスリング部に入部した。それだけでは飽き足らず「気合の鬼」ことアニマル浜口に弟子入り。

 今でこそユニークなキャラクターで知られる浜口氏だが、当時は現役でリングに上がっており、指導も熾烈を極めた。

 「こんなに腕が太い人いるんだ…って。もう象の子供くらいの腕あるんですよ。当時は本当に怖かったです」。

 そこで同い年の浜口京子とも出会い、スパーリングパートナーに。

 「当時は京子さんの方が僕より10kgくらい重かった。力も強かったし。何より獣のような目をしてるんです」。アニマル浜口のもと、京子とKageは切磋琢磨し、レスラーとして成長していった。「一生モノの時間でした」。

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最終更新:5/27(土) 11:00
AbemaTIMES