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MotoGP:ニッキー・ヘイデンと同僚だった青山博一。「レース前はいつも声をかけてくれた」

5/27(土) 8:25配信

オートスポーツweb

 HRC開発ライダーの青山博一が、サイクリング中の交通事故で亡くなったニッキー・ヘイデンとの思いでを振り返った。

【画像】青山博一とニッキー・ヘイデン

 青山とヘイデンが初めて出会ったのは、2003年の鈴鹿8時間耐久ロードレースのテストだった。この年、ヘイデンはレプソル・ホンダ入りし、MotoGPにデビュー。方や青山は全日本ロードレース選手権のGP250クラスを走っていた。

「鈴鹿で初めて会った印象は“でかいな”という感じでした」と青山は当時を振り返った。

「最初からフレンドリーな笑顔であいさつしたのを覚えています。ニッキーとは、同い年なんですが21歳で、すでにMotoGPを走っていましたから、僕も速く世界に行きたいと思っていましたね」

「このとき青木拓磨さんもいて『同い年なのに負けてられないな』と言われたのを覚えています。結局、ニッキーには追い付くことはできませんでしたが、この年、全日本チャンピオンを必ず獲って世界に行くんだ、というモチベーションになりましたね」

 ヘイデンと出会った2003年、青山は全日本チャンピオンを獲り、2004年からロードレース世界選手権(MotoGP)250ccクラスにフル参戦。2009年には世界チャンピオンを獲り、2010年にヘイデンと同じMotoGPクラスの舞台に立った。そして2014年には、アスパー・チームでチームメイトとなる。

「同じマシンに乗っていたので、一番身近なライバルでしたし、負けたくない気持ちも強かったのですが、お互いをリスペクトした関係でした。お互い正々堂々とベストを尽くそうという意味でレース前にはいつも『have a good one !(いいレースをしようぜ!)』と声をかけてくれましたね。そのシーズンでボクはチームを離れることになるのですが、ニッキーは『来年はどうするんだ? 大丈夫か?』と気にかけてくれていました」

 青山がヘイデンの事故を知ったのは、チームのプレスリリースだったという。その後、メディアの報道でヘイデンが厳しい状況に置かれていることは分かっていた。

「それでもニッキーは、最後まであきらめないタイプですし、2006年にチャンピオンを獲ったときもそうでしたから、大丈夫だろうと信じていましたが……。よっぽどひどい事故だったんでしょうね…」

■MotoGPから離れてもニッキー・ヘイデンとの仲は健在
 2017年の3月にタイで行われたスーパーバイク世界選手権(SBK)第2戦に、青山はアジア・タレント・カップのアドバイザーとして赴いており、たまたまヘイデンと同じホテルだったこともあり、ゆっくり話す機会があったという。

「いろいろ話しましたよ。その中で、新型CBRがなかなか機能していない状況で、ちょっと時間がかかってしまう可能性もあるかなと彼に言うと『僕には時間がないんだ』と言っていたんですよ。そのとき婚約者のジャッキーも一緒だったのですが、婚約してから2年くらい経っていたし、近い将来引退して結婚するのかなと思ったんです」

 同い年のヘイデンとは、接点が多かったと語る青山。チームメイトとして走った2014年を始め、昨年は2012年に青山が所属した MuSASHi RT HARC-PRO.から鈴鹿8耐を走り、SBKでは青山が2012年に参戦したテンケイト・ホンダから参戦していた。

「2003年に初めて会って、全く違う境遇で世界にたどり着き、そこから様々な接点を持てたことは、すごく光栄なことです。ニッキーが引退したら、一緒にテストライダーができるかと思っていたので、すごく残念です。ただ、ニュースを見ていても、まだ信じられないというか実感がないですね。またサーキットに行けば会えるような気がしています」

 バレンティーノ・ロッシ、ダニ・ペドロサ、ケーシー・ストーナー、アンドレア・ドビジオーゾ、そして青山と、チームメイトとして走ったライダーは口を揃えて「いいヤツ」と語っている。裏表のない、真っ直ぐな心を持っているヘイデンだからこそだろう。吸い込まれそうな碧い瞳に屈託のない笑顔は、多くの人の心の中に永遠に刻まれている。


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