ここから本文です

川上巨人 V9壮大ドラマの幕開け

5/28(日) 11:06配信

東スポWeb

【越智正典「ネット裏」】1960年秋、巨人軍監督に就任した川上哲治はヘッドスカウトに就任し連日球団事務所に出勤。選手獲得の指揮を執った。スカウト自由競争時代である。巨人の第2期黄金時代は終わっていた。

 61年監督第1年の川上はバントまたバント野球で勝ったが、日本ビールの投手、城之内邦雄に着目する。利根川の水利で栄えて来た千葉県佐原に城之内の実家を訪ねる。不器用な若者と感得した川上は喜んだ。不器用な男はあれもこれも出来ないからひとつのことに一途に打ち込む。会っても一言も喋らなかったこの若者が出来ることは走りに走ることだった。川上は城之内を獲った。

 そして迎えた62年、開幕連戦は後楽園球場での“伝統の一戦”阪神戦だったが、4月7日、第1戦になんと城之内をぶつけた。阪神は小山正明。1対2で敗れたが、作・川上のV9への壮大なドラマはこのときに幕をあけた。

 川上は第2戦には、新人柴田勲をぶつけた。法政二高の高3の夏が終わると、南海の名将鶴岡一人がしばしば柴田家へ。南海が獲得するのは決定的と思えた。川上の指揮下のスカウト沢田幸夫は、鶴岡が柴田家を訪れているのを知ると鶴岡が辞去するまで何時間も横浜、三ツ沢公園で待機していた。川上が柴田を獲った…。

 川上は村山実登板必至の第2戦に柴田をぶつけたのだ。柴田は高2の夏、第42回甲子園大会で全国優勝。高3になる春第33回センバツで全国優勝しているが、まだ高校3年生とそうは変わらないのにだ。阪神の本塁打攻勢に2対4で敗れた。川上は泰然としていた。

 川上はほどなく、投手柴田の打撃練習の本数を少しずつ増やした。打者転向をひそかに考えていたと思える。俊足、それに英明。62年のキャンプでのルール試験で柴田は100点満点でチーム1位。川上は驚嘆。やがて誕生するトップバッター“赤い手袋”柴田は、川上の着眼に始まっている。

 城之内の初勝利は4月22日、国鉄戦。遠征が始まる。阪神戦遠征の宿、竹園旅館(ホテル竹園芦屋)。甲子園球場から引き揚げてくると賑やかな食事が始まる。柴田はじゃこにネギとタクアンを刻んだのが大好きだった。宿の係ともよく話をしたが、城之内は食事が終わると、5分後にはもう床に入っていた。離れの桜の間で伝え聞いた川上は会心の微笑を浮かべていた。

「いい不器用だ」

 この年、巨人は優勝出来なかったが、城之内は24勝12敗(藤田元司13勝11敗、中村稔9勝12敗)。城之内は新人王に選ばれる。城之内は武運に感謝し香取神宮に大きな、大きな賽銭箱を寄進した。

 ことしの4月29日、香取市では、ユネスコ無形文化遺産に登録された「佐原の山車」の記念行事が繰りひろげられた。佐原からの知らせに私はまた、川上、城之内を思い出していた。柴田勲はいまは巨人軍OB会会長である。 =敬称略=

(スポーツジャーナリスト)

最終更新:5/28(日) 11:06
東スポWeb