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【高安、平成生まれ初の大関】〈1〉高校入試挫折…しごき耐えきれず脱走10回以上 

5/29(月) 10:03配信

スポーツ報知

 大関昇進が決定的となった関脇・高安が名古屋場所(7月9日初日・愛知県体育館)で、2006年夏場所の白鵬以来の新大関優勝を誓った。2連敗締めとなった千秋楽の取組後に審判部の要請を受けた八角理事長(元横綱・北勝海)は、31日に昇進を審議する臨時理事会の開催を決定。スポーツ報知では3回の連載で平成生まれ初の日本人大関の素顔に迫る。

 高安の角界入りは積極的な動機ではなかった。中学時代、通知表の成績は体育だけが4か5。残りはパッとしなかった。見かねた両親が中学2年で個別指導塾へ通わせようとしたが「もう手遅れです」と入会を断られた。「昼間働いて夜間の学校に行って野球をやりたい」。希望する高校進学が難しくなり途方に暮れていた家族に、担任の浅倉慈男(しづお)先生の一言で道が開けた。「角界という道もある」。当初は「絶対嫌だ!」と反発したが「頭がダメなら体で」と考えた父・栄二さんの説得に入門を決意。運命が変わった。

 2005年2月末、ニコニコしながら母・ビビリタさんに「ママ、俺行ってくるよ」と手を振って親元を離れた陽気さは、入門してすぐに消えた。待っていたのは兄弟子からの厳しいしごき。入門した当時の鳴戸部屋は角界1、2を争う正午過ぎまでの稽古量に、慣れない団体生活が加わった。兄弟子の西岩親方(元関脇・若の里)は「やる気に満ちあふれて入門してきたタイプではなかったから」と新弟子時代を振り返った。耐えきれず脱走した回数は大小合わせ10回はあった。部屋のある千葉・松戸市から茨城・土浦市の自宅まで約50キロの道のりを自転車で帰り「もう髪を切りたい」とこぼしたこともあった。

 栄二さんは「(鳴戸部屋に)連れ戻す前に焼き肉の食べ放題へ連れていくんですけど…。食後『トイレ行ってくる』って席を立ったらもういない。部屋に向かう車の中でも、信号で止まるとドアを開けて走って逃げていくんですよ」と苦笑いしながら振り返る。

 困り果てた父は先代師匠の故・鳴戸親方(元横綱・隆の里)に「相撲が嫌いなわけではなかった。もし逃げてやめたら次の世界にいっても逃げてしまう。乗り越えれば一つ勉強にもなるし成長できるはず」と直訴した。才能を認めていた先代は家族と部屋の全力士を集めて会議を開いた。その場で兄弟子に“かわいがり”を控えるよう指示。以降、脱走癖はなくなった。その光景を見ていた力士の中には、当時18歳3か月の早さで幕内に昇進していた稀勢の里の姿もあった。(特別取材班)

最終更新:5/29(月) 11:39
スポーツ報知