ここから本文です

【あの時・ウオッカのダービー制覇】(2)「この馬は違うぞ」大器の予感

5/28(日) 9:10配信

スポーツ報知

 2004年4月4日。北海道静内町(現新ひだか町)にあるカントリー牧場で、1頭の牝馬が誕生した。父のタニノギムレットと同じ鹿毛(かげ)の子馬は、のちにウオッカと名付けられた。オーナーの谷水雄三が父の名前につけたカクテル「ギムレット」よりもアルコール度数の強い酒「ウオッカ」を選択。ストレートで飲めば、さらに強くなるという思いを込め、自身が所有する馬の大半につけた「タニノ」の冠名を外した。

 ウオッカが誕生するまでの道のりは平坦ではなかった。話は30年以上前まで遡る。1971年、牧場を開業した父・信夫が交通事故で急逝。ゴルフ場などを経営していた谷水が後を継いだ。当時、競馬場に足を運んだことは一度もなかった。「私は馬に関しては素人で、何も分からなかった」。競馬に関する書物を読み、関係者から競馬のイロハを教えてもらったが、底の浅さを解消できなかった。父の残した馬たちが引退していくと、成績は落ち込んでいった。

 1979年に転機が訪れた。わらにもすがる思いで、かつて5冠馬のシンザンを管理した元調教師の武田文吾を牧場に招いた。「うちの牧場はどうですか」と質問すると、厳しい答えが返ってきた。「馬たちが柵の間から首を出し、牧場の外の草を食べている。これは(牧場の)中の草がうまくないからですよ。これでは馬が走らない。かわいそうだ」。胸にグッと突き刺さった。そして馬たちに申し訳ない気持ちになった。

 谷水は牧場の抜本的な改革に着手した。10年近くかけて、東京ドーム5個分の広さとなる約7万坪の牧場の土を入れ替える一方で、繁殖牝馬を40頭から20頭まで減らした。91年には繁殖牝馬用の牧場となる新たな土地を購入。ミネラルを中心に栄養素を豊富に含んだ土壌を作った。相当な投資を強いられたが、これは覚悟のうえだった。「時間がかかることは分かっていたから」。幾度となく壁にぶつかりながらも、徐々に生産馬の質が向上していった。2002年、タニノギムレットで日本ダービーを勝ち、ついに自身の生産馬でG1初制覇を飾った。改革に着手してから、23年後のことだった。

 タニノギムレットはその年の秋に現役を引退して種牡馬入り。母タニノシスターとの間に初年度産駒の一頭として、ウオッカが誕生した。他の馬たちと同じメニューで順調に基礎体力をつけると、徐々に高い素質を見せ始めるようになる。「この馬は違うぞ」。谷水の予感は見事に的中した。(山本 武志)=敬称略=

 ◆カントリー牧場 ゴルフ場経営が本業だった谷水信夫(故人)が1963年、北海道静内町(現新ひだか町)で創業した。広さは約30ヘクタール。馬にハードトレーニングを課し、開業直後の68年にタニノハローモア、70年タニノムーティエと2頭のダービー馬を輩出した。その他にマーチス(68年皐月賞)やタニノチカラ(73年天皇賞・秋、74年有馬記念)などG1級レースで15勝を挙げ、一時代を築いた。自家生産の馬を所有するオーナーブリーダーだったが、12年3月で解散した。

最終更新:5/28(日) 9:10
スポーツ報知

スポーツナビ 競馬情報

重賞ピックアップ