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【高安、平成生まれ初の和製大関】〈2〉強い胃袋と良質な栄養で作られた体

5/30(火) 10:03配信

スポーツ報知

 高安にとって、稀勢の里が兄弟子だったことは幸運だった。「入門してから今まで一番胸を貸してもらった」。初めて胸を借りたのは番付が三段目の上位まで上がったとき。「何回ぶつかっても下がらない。全身の関節一つ一つがミシミシ来るような重さを感じた」。稽古は連日正午過ぎまで。100番を超える番数を重ねて、強くならないわけがなかった。食事にもよく連れ回された。一緒にいるときの写真は今もデータを保存してある。

【写真】夏場所から一夜明け心境を語った高安

 10代後半に和製横綱と同じ鳴戸部屋のちゃんこを食べ、力士としての体ができあがった。先代師匠の故・鳴戸親方(元横綱・隆の里)が現役時代に糖尿病で苦しんだ教訓から野菜を多くとり、7~8品目でバランス良く栄養を摂取した。親元にいるときは1日“4食”。今もご飯をどんぶり4~5杯は食べる。「増やそうと思えば体重は200キロまでいける」。強い胃袋と良質な栄養で作られた体は稀勢の里と同じだ。

 鳴戸部屋への入門を選んだのも、稀勢の里の存在が決め手になった。破竹の勢いで幕内力士になった同じ茨城出身の大器を、父・栄二さんがインターネットで検索。「中学まで野球をやっていた。そういう意味では境遇も同じ。隆の里の部屋に入れれば何とかなるんじゃないかと思いまして」。アポなしで部屋の門を叩くと、先代師匠が「任せてください」と才能を見いだしてくれた。

 入門後は常に背中を追ってきた。先代の指導は厳しく、大関昇進直前の稀勢の里もトイレ掃除をしていた。関取がしないような雑用も課される厳しい環境を、ともに乗り越えてきた。今年春場所、兄弟子が左上腕のけがを負いながら奇跡の逆転Vを果たした際には支度部屋で涙を流した。「報われて良かった」と発した言葉は、1場所後に自らへはね返ってきた。(秦 雄太郎)

最終更新:5/30(火) 11:00
スポーツ報知