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被爆死の弟きっとここに 91歳の被爆者・岩橋さん 時津の無縁仏慰霊碑 援助者と“お参り”

5/29(月) 9:03配信

長崎新聞

 長崎原爆で亡くなった弟をきちんと弔ってやりたかった-。こんな心残りを抱えて戦後を生きてきた長崎市の被爆者、岩橋ヤエ子さん(91)が、弟が埋葬された可能性のある西彼時津町元村郷の被爆無縁仏の慰霊碑そばを訪れた。高齢のため慰霊碑につながる坂道を上れず直接供養することはかなわなかったが、付き添った入所施設の作業療法士、片田美咲さん(46)がスマートフォンで慰霊碑の映像を送り、岩橋さんの心を慰めた。

 岩橋さんは19歳の時、爆心地から0・9キロの同市城山町2丁目(当時)で被爆。父親と6人の弟を失った。今も心に影を落としているのは、上から2番目の弟で当時15歳ぐらいだった勝巳さんのことだ。「全身やけどの弟を救援列車に乗せようと、家族が戸板で大橋の電停辺りまで運んだ。次の日、母が様子を見に行くと、弟はそのまま息絶えていた」

 勝巳さんの遺体はその後、混乱の中で所在が分からなくなった。時津に運ばれて埋葬されたという話を聞き、岩橋さんは数年後に役場を訪ねた。被爆死者を埋葬した場所として紹介されたのは、元村郷の「さばくさらかし岩」近くの墓地。墓標には氏名を記したものもあれば遺体の特徴だけを記したものもあった。「どれが弟か分からなかった。せめて身元が分かるようにしていれば、きちんと弔ってやれたのに」。心の奥に長年沈殿してきた後悔だ。



 片田さんは2012年、勤め先の介護老人保健施設に入所してきた岩橋さんと出会った。リハビリの際に昔の話を尋ねると、岩橋さんはせきを切ったように被爆体験を語り始めた。「この人は自分のつらい記憶を誰かに伝えたがっている」。片田さんの心が揺り動かされた。

 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館が被爆証言を集めていることを知り、仲介の労を執って15年に岩橋さんの証言映像収録を実現させた。そして今年3月、時津で埋葬された被爆無縁仏の慰霊碑を取り上げた本紙の連載記事を読み、岩橋さんの弟が埋葬された可能性があるのはここだと思った。「岩橋さんをこの場所に連れて行って慰霊碑にお参りしてもらい、長年抱えてきた心の重しを下ろしてもらいたい」



 今月23日。慰霊碑は急坂を100メートルほど上った先にあった。足腰の弱い岩橋さんが坂を上るのは無理だと片田さんは判断。車いすの岩橋さんを坂の下に残し、片田さんだけが参拝。その模様をスマホで撮影し、岩橋さんの持つタブレット端末に映像を送った。

 岩橋さんは画面で慰霊碑を見つめ「自分の足でお参りしたかった」とぽつり。帰り道、碑の方角へ手を合わせながら涙をぽろぽろこぼし始めた。「なぜあの時、遺体を置いたままにしておいたのか」。再びこみ上げる72年前の後悔。やがて落ち着くと、「片田さんのおかげでここまで来ることができた」と感謝を口にした。

長崎新聞社

最終更新:5/29(月) 9:03
長崎新聞

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