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三菱東京UFJの頭取交代 小山田氏、 働き方改革で功績

5/30(火) 17:30配信

ニュースソクラ

後任の三毛氏は国際派

 三菱東京UFJ銀行は先週の24日、取締役会を開き、6月14日付けで頭取を小山田隆氏(61)から三毛兼承副頭取(60)に交代させる人事を決めた。小山田氏は6月28日付けで取締役も退任し、特別顧問に就く。

 交代は体調が理由で、わずか1年での交代は異例だが、「2月ごろより小山田氏より交代打診があり、長いやり取りの末決めた」と持ち株会社、三菱UFJフィナンシャル・グループ(FG)の平野信行社長は明らかにしている。

 同時に三菱UFJフィナンシャル・グループも同じ日に取締役会を開き、三毛新頭取の副会長への就任を決めた。

 行内からは温厚で頭脳明晰な小山田氏の退任を惜しむ声が非常に強い。一方で、金融庁、日銀、銀行の先輩、部下や関連会社、さらに他のメガバンクにまで全方位で気配りする姿勢が、かえって自分を追い込み体調不良につながったのではないか、という見方もでている。

 小山田頭取は平野前頭取を引き継ぎ、伝統的にゆっくりと変わる三菱カラーのなかで、あまり個性を打ち出すことなく銀行運営に携わった。三菱UFJ信託銀行と三菱東京UFJ銀行の法人部門の統合と、旧東京銀行のなごりである「東京」を行名から外すという長年の懸案を退任前に片づけた。大きな「実績」といえる。

 ただ、法人部門の統合には、必要に迫られての決定という事情がある。グループ内の二つの銀行、三菱東京UFJ銀行と三菱UFJ信託銀行の間での意思疎通の悪さから、両行合わせた東芝向け融資残高が本来のメーンバンク(主取引銀行)である三井住友銀行やみずほ銀行を一時的に上回ってしまったという「事故」があったことが響いている。

 メーンバンクは、融資残高が最大のところというのが、金融界では暗黙のルール。「疑似」メーンバンクになってしまったことで、他行から「責任」を問われた面もあった。必要不可欠な改革で、小山田頭取が主導した「功績」とまでは言えない。

 小山田カラーがはっきりと出たのは、働き方改革だろう。会議の削減などを具体的に指示し、改革を促した。過剰労働への世間の厳しい目も意識していたとはいえ、部下への細やかさが出た小山田氏らしい施策だったといえる。

 また、人事面では三菱東京UFJ銀行としては初めての女性執行役員に東海銀行出身の北川千晶氏を登用した。世間相場からみれば遅すぎる女性登用とはいえ、行内には東海銀出身者の登用に反対の声もあったという。小山田氏の強いこだわりで実現したとされる。

 いずれの小山田「改革」も緒についたばかり。どれだけ心残りだったか、優しすぎるほどの方だっただけに、その心情を思うと、切ない思いをする行員は多いだろう。

 三毛新頭取は小山田頭取と同期入行で、小山田氏が頭取に選ばれた昨年から、小山田氏に万一のときの後任候補とされる、いわば「プランB」だった。指名ガバナンス委員会の面接などもクリアしての就任だが、グループとしては、「既定路線」ともいえる人事となった。今後の頭取レースなど主要人事への影響は小さい。

 三毛氏関し、平野三菱UFJ・FG社長は会見で「いろいろな部門を経験したひと」とそのバランスのよさを評した。経歴的にも人格的にもバランスのとれた人だが、しいて行内での出身を言うなら、行内キャリアの後半に主に従事した国際部門になる。

 慶応義塾高校から慶応義塾大学経済学部卒。入行後に、米国ペンシルバニア大学では経営学修士(MBA)も取得している。やはり、さらなる国際化が課題となるなかでは平野氏に続き、適切な人材が昇格したと見ることもできるだろう。

■土屋直也(つちや・なおや) ニュースソクラ編集長
日本経済新聞社でロンドンとニューヨークの特派員を経験。NY時代には2001年9月11日の同時多発テロに遭遇。日本では主にバブル後の金融システム問題を日銀クラブキャップとして担当。バブル崩壊の起点となった1991年の損失補てん問題で「損失補てん先リスト」をスクープし、新聞協会賞を受賞。2014年、日本経済新聞社を退職、ニュースソクラを創設。

最終更新:5/31(水) 11:25
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